若者が選挙に行かないと何が問題? 橋下徹がそれでも投票を勧める訳
若者の「政治離れ」「投票率の低さ」がしばしば指摘されるが、選挙に行かないと何が問題なのか? 橋下徹氏は「投票所に行かないということは、どんな社会になっても別にいいよと放り投げているのと同じ」だと言う。選挙の本当の重要性について、書籍『2時間で一気読み 13歳からの政治の学校』より紹介する。(写真:的野弘路) 橋下徹氏が衝撃を受けた「石原慎太郎氏のふるまい」 ※本稿は、橋下徹著『2時間で一気読み 13歳からの政治の学校』(PHP新書)から一部を抜粋・編集したものです。
「政治なんて興味ない」では自分が損をする
「政治」と聞くと、さっと身構えてしまう人が大勢います。 僕はときどき、政治に文句を言っている人たちに「だったら、一度ご自身が政治家になってみたらどうですか?」と、嫌味ではなく本心から声をかけることがあります。すると、ものすごい勢いで「いやいやいや!」と返ってくる(笑)。「僕なんかそんな器ではありませんよ」「私はそういうタイプではないので」と。 でも、そうでしょうか? 本当に一度「政治」に関わってみるといいと思うんです。実際の経験からすると、たしかにかなり大変ですが、やっぱりやりがいはありますし、自分たちの手で社会をつくっていくんだという意識が生まれます。大変さに見合うだけのやりがいや面白さは十分にありますよ。 この点、「政治家」という肩書こそつかなくても、じつは僕ら国民は何かしらの形で「政治」に関係しています。なにもテレビの国会中継や報道番組で目にするばかりが「政治」ではなく、日常生活の至る所に「政治」は隠れているんです。 たとえば、学校の校則を変えようと奮闘する生徒たちの努力も「政治」ですし、自治体を良くしようと町内会の大人たちが話し合うのも「政治」です。学校運営に協力する保護者と先生たちが行なうPTA活動もある意味「政治」ですし、企業やNPOの活動も「政治」と強く結びついています。 「俺は政治なんて全然興味ないね」 「私は政治なんてよくわからないから」 そんな人も、生きていく限り、「政治」と無縁ではいられないのです。いま日本国民は満6歳で小学校に入学し、中学校卒業までの9年間を義務教育機関で過ごします。それは政治家たちが、それが妥当であろうと考え、決めたからです。 選挙権が与えられるのが18歳で、飲酒や喫煙が許されるのは20歳からと決まっているのも、政治家たちがそう決めたからです。 18歳になれば、学校でも政治の仕組みを勉強し、自らの頭で政治家を選ぶ判断力がついているだろう。とはいえ10代の飲酒や喫煙は健康を害する危険性があるから、それらは20歳以降にしたほうがいいだろう。そんなふうに話し合われた結果です。 あなたが社会で働くようになれば、働いて得た所得から所得税・住民税や国民(厚生)年金の保険料、健康保険料や介護保険料が引かれていきます。そうした仕組みを整えたのも、政治家たちが、社会を維持するためにベストな方法であろうと定めたからです。 反対に、突然職を失ったり、病気や怪我や高齢で働けなくなったりしたら、傷病手当や年金制度などで生活基盤が保障されます。それも政治家たちが話し合い、検討した結果です。 一方でいま、日本の政治家たちが多額の裏金をつくり懐に入れても罰せられないのは、政治家たちが、それで良いと決めたからです。日本の社会を良くするために働くのが政治家ですが、同時に政治家のもとに多額のカネが集まるようになってしまったのも、日本の政治家たちがそれを良しとしてきたからです。 別の言い方をすれば、「政治家のもとにカネが集まるのはおかしい!」と声を上げ、現状を変えたいならば、自分たちが積極的に政治に参加していくしかないのです。 政治は、生きています。有史以来、固定化された「政治」が何百年、何千年と続いてきたわけではありません。僕らがいま日本社会で当たり前のように使っている「政治」という言葉と概念は、たかだか戦後80年くらいで築かれたもの。戦前、あるいは明治時代には、まったく異なる常識のもとで、政治は運営されてきたのです。 政治はその時々の国や地域、時代、政治家や国民の考え方で変容していくものです。一度つくったルールや仕組みは、できた当初には最適だろうと思われていたかもしれません。でも30年、50年が経てば「やっぱり間違っていた」「理想と現実は異なっていた」、あるいは「世の中が大きく変わった」と気づくこともあるでしょう。 だから僕らはつねに「政治」に参加し続けなくてはなりません。政治家だろうと、一般市民だろうと、政治に興味があろうとなかろうと、「いまの政治はこれでいいのか」「未来もこのシステムでいいのか」を考え、意見を言い続けなくてはいけないのです。