ミルクボーイ(1)M-1直前19年王者登場!「コーンフレーク」から5年「とんでもないことした」
M―1グランプリ王者が連載初登場だ。今年から全都道府県を10年かけて回る全国ツアー「漫才ブーム」を、気心の知れた金属バット、デルマパンゲ、ツートライブの3組とスタートさせた。大阪を主戦場にテレビやラジオ、舞台でも順調な芸人生活を送るミルクボーイ。歓喜の涙で視聴者の胸を熱くさせた2019年から5年、まもなく開催される漫才頂上決戦を前に、かつての王者は何を思うのか?22日開催の決勝舞台を前に、2人に聞いた。(取材・構成 江良 真) 【ミルクボーイインタビュー(1)】 ◆◆ 10年かけた全国ツアー「漫才ブーム」敢行中 ◆◆ ―「漫才ブーム」1年目は香川、青森、沖縄、三重の4県でした。青森は関西のお笑いとの相性がよくわからない感じですが、いかがでしたか? 内海崇「青森めちゃくちゃ良かったんです!普段はお笑いライブが来ないらしく、みんな北海道でやってまうらしいんですね。なのですごい喜んでくれました。青森のお笑い好きが一堂に集まってくれた感じでした」 ―そうなんですね。お笑いタレントさんは今じゃどのチャンネルつけても出演されているし、昔みたいな地域性はないんですね。 内海「八甲田山に登ったんですが、その山頂で、ぼくらの大ファンのおばちゃんに会って。青森の方なんですけど都会に出てて、何十年ぶりかに青森戻ってライブを見に来てくれたみたいで、ついでにひさしぶりに山頂に登ったら、たまたま僕らおったから、ワーッって(笑い)。そんな一期一会な感じもありました」 ―同世代4組によるツアーですが、10年かけて全国ツアーというのは前から企画されていたんですか? 内海「M-1を優勝した2019年に1回、このメンバーでツアーをやったんですよ。大阪、東京、沖縄、広島、福岡という吉本の劇場があるところでやったんですけど、M-1に出る前やったので、全国どこでも分かるネタをするということですごく勉強になったんです。で、同じメンバーで昨年イベントをした時に、みんなで来年はツアーしよう!と盛り上がって。やるなら全都道府県行きたいなってことで、それやったら10年かけて全部やろか?となりました。吉本には後付けで話して、完全にぼくら4組で決まった感じですね」 駒場孝「なんか、仲のいいみんなで旅でもしようか、みたいな感じで。10年先までやること決まってるのっていうのもおもろいなみたいな話をノリで決めた感じです」 ―ミルクボーイさんはオーディション組ですし、ツアーで一緒に回られているデルマパンゲさんもオーディション組。今では数少ない経歴だと思います。そもそもお2人は大学のサークルで出会われたんですね? 駒場「大阪芸術大の落語研究寄席の会に入ってました。6月に内海が入ってきて、すぐに学内ライブがあったから急いで組んだっていう感じですね」 ―内海さんはなぜ6月の入部なんですか? 内海「最初アイスホッケーに入ろうとしたんです」 ―??また、全然毛色が違いますね。 内海「そのころ、キムタクさん主演のプライドってドラマが人気やったんで」 ―(笑い)本当にそういう理由で部を決める方がいるんですね。 内海「まあ、結局はお笑いに落ち着いて、大学行きながらインディーズライブのオーディションを受けて、受かれば月1回出られるっていう感じでした。吉本のオーディションとか全然落ちてましたね(笑い)。でも4回生の時に受かって、初めて吉本から給料をもらえたんです。だから在学中にギリギリ吉本入りできたって感じですね」 ◆◆ たくさんのファンに人生のインパクトを与えた“コーンフレーク” ◆◆ ―もちろん、その後もたくさんの苦労があったと思います。ただ、世間的にはやはり19年の決勝は衝撃だったと思います。 駒場「僕ら出てる側やし、獲った後も目まぐるしかったんで、どんだけ衝撃を与えたかっていうのがいまいちわからないんです。劇場でも最近はコーンフレークのネタをやらないし。やってもウケないんですよね。みんなネタ知ってるから(笑い)」 内海「でも、そういう代表ネタをやる、みたいなライブが最近あったんです。そしたら、あの時の、2019年12月22日の自分を思い出しました、ありがとう!とファンの人から言われたんです。それってすごいことやな、と思って。そんなピンポイントで自分自身を思い出せる、そんなインパクトを残したというのが信じられなくて」 駒場「ロケであった人に、“あの笑わないお父さんが笑ってました。それで家族がまたしゃべるようになりました。ありがとうございます”と言われたり、“入院していた枕元で聞きました”とか、悩んでいた大学生が“あれを見て心がとても軽くなった”とか」 内海「M-1終わってすぐよりも、最近になってさらに、とんでもないことをしたんやと思うようになりましたね。5年経ってるのに。なんか、一度みなさんに聞いてみたいです。あの日どこで見てましたか?って。なんかいろんなエピソードがある気がします」 ―一方で、あまりにも強烈なインパクトはそれが強すぎるからこそ、その後の芸に影響を及ぼすこともあると思いますが、ミルクボーイさんはどうだったのでしょう? 内海「それは全然です。というかね、ぼくらはすごく特殊な事情があって。M-1翌年にコロナ禍になっちゃったんですよ」=(2)に続く ◇ミルクボーイ 内海崇(うつみ・たかし)1985年(昭60)12月9日生まれ。兵庫県姫路市出身の38歳。駒場孝(こまば・たかし)1986年(昭61)2月5日生まれ。大阪市出身の38歳。大阪芸術大学の“落研”で出会い、駒場が誘ってコンビ結成。NSCには入学しておらず、オーディション組。M-1グランプリは3年連続準々決勝で敗退していたが、19年に初めて決勝進出。伝説の「コーンフレーク」ネタで頂点に立った。NGK(なんばグランド花月)の舞台へのこだわりもあり、現在も大阪を拠点に活躍。