「恥さらし」と罵倒された毒母に「恨みはしたけど嫌いになれない」中武佳奈子 今は亡きステージママへの恩と感謝
■自宅に百貨店の外商が来て車も即乗り換える贅沢な日々が一転 ── 羽振りのよさは、どんなところで感じたのでしょうか。 中武さん:自宅に百貨店の外商が来て、部屋には宝石や毛皮がたくさんありました。車も2年経たずに乗り換えるので「車検の更新」を知りませんでした。両親の財布には、いつもお札しか入っていなかった記憶があります。小学校の低学年のころには「うちはお金持ちなんだな」と感じていました。もともと父親も大手ゼネコン勤めで給料がよく、それなりの暮らしはしていたのですが、私の稼ぎがまるまる贅沢品に変わった感じでしたね。
── 外商を呼んで、宝石や毛皮を買えるほどの稼ぎを佳奈子さんがもたらしていたとは、すごいですね。ちなみにご自分は、おこづかい制だったのですか? 中武さん:いえ、オーディションに合格したら好きなものを買ってもらえるシステムでした。そんなときに決まっておねだりするのは、大好きな「筆箱」でした。筆箱集めにハマっていたんです(笑)。 ── 子どもらしいおねだりで、ちょっとホッとしました(笑)。その後、「芸能活動をやめたことで、親子関係に亀裂が入り、絶縁状態だった」とおっしゃっていました。どんないきさつがあったのでしょうか?
中武さん:私が売れなくなって芸能界をやめたので「落ちぶれて恥ずかしい」と母は感じていたようです。お金が稼げなくなり、贅沢できなくなってしまったのも大きかったのでしょう。平たく言えば「金の切れ目が縁の切れ目」です。離婚もしたので、世間体をものすごく気にする母にとって、私の存在は「恥」以外のなにものでもなかった。その後、生活に困窮してどん底まで落ちたときも、いっさい手を差し伸べてくれませんでした。
■「恥さらし」と言われても母親を責める気にはなれない理由 ── 実際、「恥」だと言われたことが…? 中武さん:「恥さらし」と言われましたね。「あれだけの時間と労力をさいたのに、私の人生を台なしにして!」とも。その言葉を聞いたとき「母の時間を奪って申し訳なかった」気持ちと同時に「私自身を見てくれていたわけじゃなかったんだ。私は母の承認欲求を満たすアイテムでしかなかったのではないか」という思いがあふれ、ものすごく悲しくなったんです。