大学入学への最後の課題の前に突如、立ちはだかった生物教師<河谷忍「おわらい稼業」第3回>
ちょうど普通の大学生活へ
私は無事美大の映画学科に入学した。映画学科の教室は本学からは少し離れた場所にあった。住宅地にひっそりと佇むその校舎はとても静かで、少しでも誰かが叫べば苦情が入るような立地だった。入学初日、教室で先生を待っていると唐突に扉が開き、スキンヘッドでフレームが大きなメガネをかけて髭を生やしたステレオタイプのAV監督のような人が入ってきた。どうやらこれは講師のようだ。 「聞いて」 第一声だった。 何を? 全員が思った。 「まわりの音、3分あげるから聞いて、そこからどんな物語を想像する? ほら、聞いてみて、スタート」 全員が耳を澄ませる教室に、私の鼻で笑う音だけが響いてしまった。 大学生活は順風満帆ともいえず、最低ともいえない本当にちょうど普通の毎日がただ流れていた。美大は卒業論文ではなく卒業制作を行う。私は自ら監督に志願して80分ほどの探偵映画を1本作った。昔から『名探偵ポワロ』や『古畑任三郎』を観ていた私にとって、エンタテインメントに富んだ探偵映画はいつか挑みたいジャンルだった。この先、自分が映画監督になるのか、そうなった場合いつ自分の撮りたい映画を撮れるようになるのかもわからない世界であることは卒業生やまわりの環境を見てすぐに理解できた。もしやるなら今しかない、そう思った。 合評で4~5グループほどが自分たちの作った映画を上映していき、講師にボロクソ言われていく。誰がこんなに言われて映画の仕事をやりたいと思うのかと感じたが、講師なりの「これに耐えなきゃ将来はもっと厳しい」という優しさだったのかもしれない。もちろん私の卒業制作にも講師陣からは厳しい意見が飛んだ。言われすぎて何を言われたのかも覚えていない。上映後に全員の前に立たされ公開の説教を受ける。後半は白目を剥いていたに違いない。生涯を賭けて本気で映画をやりたい人にとっては何クソ根性を掻き立てられるのかもしれないが、私にとってはそれが「お前はもうやめておけ」という半ば呆れの混じった声に聞こえたのだ。やりたいことはやった。自分が進むべき道は映画ではないとそのときに確信した。 個別の進路相談会が開かれ、ひとりずつ担当の教員と就職の話をする。ほとんどの人が大学から勧められる映画やCMの制作に携わる会社にエントリーシートを出していくなか、私はテレビのバラエティ番組を作るためテレビ番組の制作会社への就職を決めた。映画は好きだった。でもそれ以上にお笑いが好きなのだと大学生活をもって痛感したのである。 ここから私のおわらい稼業が始まる、そのときはたしかにそう思っていた。
文=河谷 忍