松本サリン事件30年 元捜査員が証言「極秘捜査班」 薬物ルート調べ…事件から3週間でオウム真理教に辿り着く 大量の薬品購入に恐怖と使命感 サリン70トン製造予定 「都市10個壊滅させたかったのか」
あとは事件との関連…その矢先に
1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。 またしてもサリンがまかれ、死者13人、5800人以上に中毒症状が出ました。 県警元捜査員・上原敬さん(69): 「地下鉄(サリン事件)が起こってしまって、そういう面では非常に残念だと思うし、何かやりきれない気持ちはある」
警視庁と捜査内容共有 強制捜査へ
その後、これまでの捜査内容は警視庁とも共有され、教団施設の強制捜査へと一気に進み、サリンの製造者、実行犯の特定につながりました。 合同捜査本部に加わった上原さん。サリンを製造し、殺人予備罪に問われた男性信者の取り調べを担当しました。
県警元捜査員・上原敬さん(69): 「ワーク(修行)と称してそういうものに没頭させられていた。それで踊らされているっていうか、そういうことをやったのが若者。だから本当につらさというか、宗教の怖さっていうのかな。ひしひしと感じた」
信者の一言に驚愕
取り調べで「最終的にどの位のサリンを作る予定だったのか」と尋ねると…。 「1日2トン、合計70トンです」 県警元捜査員・上原敬さん(69): 「(ある文献には)『7トンを東京上空にまき散らせば、山手線の内側は4分間で死の街となる』と。東京で7トンだから、10個の都市を壊滅することを考えていたんじゃないかな。(教団は)ヘリコプターも持っていた。麻原はそういうことを考えていたんじゃないか」
大き過ぎる被害 消えない記憶
30年前、恐怖と使命感に駆られて行った捜査。上原さんの記憶から消えることはありません。 県警元捜査員・上原敬さん(69): 「亡くなった方もいるし、まだ苦しんでいる方もいる。被害が大き過ぎちゃって、もうこんな事件は起きてほしくないし、起こってもらっては困るなと」
長野放送