40代は介護と離婚、家族の悩みで暗黒だった→52歳でパーソナルスタイリストとして起業!あやみん先生
今はSNSでだれでも情報を発信できる時代。あなたが知りたかった情報は、誰かがネットの海で発信しているかも。本特集は、ミモレ編集部から「新たな視点を得ることができる」「癒しになる」「知らない世界のリアルがわかる」情報をSNSで発信し、密かにバズっている人=「バズり人(びと)」さんのSNSアカウントをご紹介します。 40代は介護と家族の悩みで暗黒だった→52歳でパーソナルスタイリストとして起業!あやみん先生の投稿をもっと見る 今回は、Instagramで毎日朝8時半からファッションが学べる生着替えインスタライブを投稿されているパーソナルスタイリストのあやみん先生こと冨永彩心さんにインタビューしました。あやみん先生は、専業主婦、離婚、介護、看取りを経て52歳でパーソナルスタイリストになり、「選ぶ服で人生が変わる!」と予約が殺到するように。今年3月には著書『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』が発売されました。そんなあやみん先生の「暗黒だった40代」とは?
40代は自分より家族のことばかり考えていた
――「暗黒時代だった40代」の時のことについて詳しく教えてください。義理のお母様との同居、介護、旦那さんの浮気、思春期の娘さんに対し、それぞれどう乗り越えたのでしょうか? あやみん先生:正直、乗り越えたつもりもないし、乗り越えようとも思っていなかったんですよ。目の前のことをひたすらこなしていただけなので。 一番大きい転機は、義母の介護でした。それまでは大きな悩みもなく、娘と旦那と仲良く暮らしていたのですが、近くに住んでいた義母が介護が必要になり、一緒に住むために引っ越したんです。お義母さんの具合が悪くなったら自分が病院に連れて行ったりと忙しい日々になりました。 引っ越したのがちょうど娘が小学校から中学に上がるタイミングだったのですが、環境が変わったことで、「学校に行きたくない」と娘が言い出したんです。 これは学校に無理矢理行かせるのではなく、寄り添って話をしていくしかないな、と思ったので、私は遅くまで働く仕事をしていたのですが、なるべく娘といられるようにとパートの仕事に変えました。 当時は「自分がこうしたい」よりも、「家族のためにはどうしたらいいのか」をいつも考えていましたね。自分のことを考える暇もなかったし、考えたら生きていけなかったので、一切考えないように、心に蓋をしてました。 ――当時の自分にどんな言葉をかけてあげたいですか。 あやみん先生:「そろそろ自分の将来を考えなさいよ」って言いたいですね。だって子どもが大きくなったら人生終わりなわけじゃないし、介護だって終わる時が来ますし。今は人生100年時代と言いますから、50代になってもあと50年あるわけじゃないですか。でも、実際に動ける期間は70代ぐらいまでですよ。そう考えたら、「今ちょっとでもいいから、この先の自分のために何かできることをやりなさい」って言いたいです。