口から食べられなくなったら、おしまい? リハビリ期から終末期までの「ベストなケア」とは
Q 管を入れたら、もう口からは食べられないのでしょうか?
経管栄養が必要になる状況はさまざまです。再び口から食べられるようになるかどうかは、経管栄養を開始したきっかけがなんであるかにもよります。脳卒中の急性期や手術後など、「一時的に口から食べられない状態になったから」という場合は、経管栄養にはあまり抵抗がないでしょう。 一方、嚥下障害が進行したり、全身の状態が悪化したりして、「口から食べるのがむずかしくなっているから」「肺炎を起こしてばかりで危険だから」などという理由で経管栄養をすすめられると、本人も家族も「口から食べられなくなったら、おしまい」などと落胆しがちです。 しかし、経管栄養を始めたからといって、二度と口から食べられなくなるとはかぎりません。経管栄養をおこないながらでも、嚥下リハビリに取り組むことが可能な場合もあります。 低栄養や脱水は、ますます嚥下障害をひどくしてしまいます。低栄養・脱水を防ぐ手段として経管栄養を上手に活用しましょう。十分な栄養をとれれば元気になり、嚥下リハビリに取り組めるようになるかもしれません。嚥下機能が回復し、口からも食べられるようになる可能性もあります。 なにをどの程度食べられるかは人によって違いますが、口から十分に食べられるようになれば経管栄養はやめられます。 もう一度、口から食べることを目指して嚥下リハビリに取り組む場合、開始の目安は次のとおりです。3個以上当てはまるようならリハビリの開始を考えましょう。 ● 全身状態がよくなり意識がはっきりしている ● ごくんと唾液を飲み込めて、肺炎を起こしていない ● 本人に食べたいという気持ちがある ● 本人の意思がはっきりしない場合、家族に食べさせたいという気持ちがある ただし、回復はむずかしいこともあります。人生の最終段階と考えられる場合には、別の判断が必要です。
Q 回復の見込みがない場合、どう対応すればよいでしょうか?
経管栄養をおこなうかどうかは本人の意思が尊重されます。しかし、回復の見込みがなく、終末期(生命維持のための医療処置をおこなわなければ比較的短期間で死に至るであろう、不治で回復不能の状態)と考えられる場合、経管栄養をおこなっても苦痛が増すだけと予想されることがあります。 また病状が悪化し、本人の意思がはっきりしない状態で経管栄養を選択するかどうか家族が迷うことも少なくありません。 そのような場合にどう考えて結論を導き出すか、考え方のヒントを示しておきます。まず知っておきたいのは、延命治療と緩和ケアの違いです。 ● 延命治療 人工呼吸器、胃ろう、透析など、終末期にそれをおこなうことで生命を維持できる可能性はありますが、苦痛や死への経過を長引かせることになります。 ● 緩和ケア 苦痛を引き起こすさまざまな症状をやわらげる治療です。延命治療は「やめる」「やめない」と判断する対象になりますが、緩和ケアは患者さんが最期を迎えるのに必要なものです。人生の最終段階におこなわれる経管栄養は、延命治療にすぎないという考え方がある一方で、栄養も水もとれない状態を放置しておくことは倫理的に問題があるという考え方もあります。 患者さんの命を終わらせることを目的になにかをする、あるいはなにかをしないことを安楽死といいます。苦痛を長引かせるだけの治療はやめて自然な経過に戻すことは、安楽死とは違います。しかし、経管栄養をしないという判断には、死期を早めるという側面がないとはいえません。後悔のない判断のためには、さまざまな角度から十分な検討を続けます。 本人の具体的な要望がわからないときは、家族などの代理判断者が、医療者のアドバイスを受けながら、本人が選択したであろう決定をすることになります(代行判断)。 本人の意思がわからず、適切な代理判断者もはっきりしない、あるいは家族の意見が割れるときなどは、本人にとってベストと考えられる決定(最善利益)をすることになるでしょう。 人生の最終段階における医療に関しては、家族の間でも意見が割れることが少なくありません。いくつかのガイドラインが提案されています(厚生労働省、日本緩和医療学会など)。そうしたガイドラインなども参考にしましょう。
藤島 一郎