【追悼企画連載再録】2000安打みちのく一人旅/大島康徳の負くっか魂!!
2000安打のブレザーをナオミさんに着させる大島さん
亡くなった大島さんを偲び、連載のいくつかを抜粋して紹介しています。今回は1990年、2000安打達成時の夫婦愛のお話です。 ◎ 日本ハムの2年目(1989年)くらいから、通算2000安打について聞かれることが増えました。ただ、報道陣に聞かれても、僕はいつも「無理、無理」って言ってたんですよ。年齢も年齢だし(89年で39歳)、難しいだろうって本当に思ってました。けど、ナオミさんは、ずっと「私は打つと思うよ」って言ってました。達成したときは予言が当たったように喜んでいましたが、あまり野球に興味なかったはずなんで、根拠はなかったと思うんですけどね。 それでもあと100本を切ったあたりから、さすがに頭にチラつくようになりました。でも最後の最後は苦しみましたねえ。なかなかカウントダウンが進まず、ようやくあと2本となったときに、90年8月18、19日と対近鉄の東北遠征があった。 そのときナオミさんが見に行きたいと言ってきたんです。それまでは地方についてくるなんてなかったんですけどね。1試合目、盛岡での近鉄戦の前夜、ナオミさんと2人で、地元の知り合いの寿司屋に行ったら、たまたま翌日先発予定の野茂英雄くんがいた。ルーキーで“トルネード旋風”を起こしていたシーズンです。僕が「おお、野茂くんか。あしたは先輩を立ててね!」と言ったら、爽やかな笑顔で「分かりました!」って言ってくれたんですが……何が立てるだ! 全打席初球からフォークボールを投げ込んできて、2打席凡退2四球です。 その夜・・・
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週刊ベースボール