泥臭さ持ち味にプロで12年間プレー J1湘南、神戸などで活躍の大槻周平選手が引退
■30歳で自己最高の12得点を記録
レギュラー獲得をめざすなかで、メンタルの重要性や自分自身と向き合うことの大切さに気付いた。「自身の弱さを認め、得意とするプレーで勝負すること」を意識。J2のモンテディオ山形に加入した19年には、クロスボールに対して体を投げ出し、ヘディングや利き足の左足で蹴り込むパターンで得点を量産。30歳のシーズンに自己最高記録の12得点をマークした。 その後、ジェフユナイテッド市原・千葉を経て、21年7月からレノファ山口FCに所属。ベテラン選手として持ち味を発揮するも出場機会に恵まれず、23年12月に契約満了が発表された。 大槻選手は「プロ生活12年間で、たくさんの仲間たちと出会い、ともに戦った日々は最高の思い出で財産です。プロサッカー選手は人に夢を与えられる素晴らしい職業でした。ここまで長くプロでやれたのも、お世話になった全ての方々のおかげです。幸せな日々を本当にありがとうございました」と感謝。 古里の子どもたちには「ぼくは小さい頃から高校生まで福知山で生活しましたが、ここで育ったからこそプロとして12年間できたと思っています。みんなにも無限の可能性があるので、夢や目標に向かって諦めずに何事も楽しんでください。そして福知山という街で生まれて育ったことに誇りを持ってください」とエールを送っている。
■「努力家で誰より早くグラウンドに」と同級生 2月から母校で指導
幼いころからボールを蹴り合った同級生の大谷俊介さん(34)は「幼少期から高校まで、ともに駆け抜けた戦友が、サッカー選手になり、夢を与えてくれたことを本当に誇りに思います。高校時代から負けず嫌いで努力家の周平は、誰よりも早くグラウンドに出てボールを蹴っていたのを思い出します。プロという厳しい世界でも、自分を信じ、全てにおいて準備を徹底する姿、泥臭く最後まで諦めない姿勢にいつも勇気と元気をもらっていました。最高の12年間をありがとう」とねぎらった。 2月からは母校の大阪学院大学サッカー部のコーチに就任し、指導者として新たなスタートを切る。「今までの経験を生かし、学生たちの力になれるよう全力を尽くします」と意気込んでいる。