振付家、下島礼紗が明かす『黙れ、子宮』再創作への意欲
ダンスの概念を変えていくような作品でありたい
主宰するケダゴロで数々の作品を手がけている下島。気心知れたダンサーたちと積み重ねてきた創作の手法は、初めて出会う韓国のダンサーたちとの仕事にどう活かされたのか。 「それが、ちょっと違っていたんです。ケダゴロで題材にしていたのは、福田和子とか連合赤軍、オウム真理教など、自分の生きていない時代の実際の事件。いろんな資料にあたって得たキーワードから、ダンサーの身体を使って実験し、その事件を再解釈することで世界を見る、というやり方をしていました。でもこの作品は、まさに自分のこと。距離はゼロ。なので、自分を自分で見ることができず、ある意味、ダンサーを自分の鏡にして創っていくイメージです。とにかく、自分のフィーリングをダンサーたちにぶつけていきました。たとえば私の地元鹿児島にはおはら節という歌、踊りがありますが、それを韓国のダンサーにやってもらうと、また全然違う身体、歌い方になる。自分の身体との距離をすごく感じて、鏡に映った自分が少しゆがんで見えるというか──」 また、街に出れば慰安婦像があったり、毎週のようにデモが行われていたり──。自分と彼らとの間にある、普段は見えない溝も感じられた。 「その溝と、私が家族に感じていた溝が、近いような気がしました。余談ですが、『子宮がありません』っていう日本語の音が韓国の人にとっては面白いみたいで、すごく真似されました(笑)。その感じも、作品を創りやすい環境だったんです。 が、私にとって初めての国際共同制作でしたから、もう必死。余裕がなくて、少し理性で創りすぎたように思います。2021年から3年連続で上演しましたが、今回新たに作り変えるにあたって、もっと肉体が躍動しないだろうかと思い始めました。それで、子宮を自分の意思で取り外してきたという話に、もう一つ、自分の身体の躍動を加えるために“キンタマ”の話を入れます!」 2011年3月、検査で子宮がないとわかったとき、睾丸のような影が映っているとも言われ、さらに血液検査の結果を3カ月間待った下島。ちょうど鹿児島から上京するタイミングだった。 「もうわけがわからなくなっていました。検査結果を待つ間に東京に来たのですが、世の中は東日本大震災で暗いムード。なのに私は、自分にキンタマがあるかどうかっていうことで頭がいっぱいで──。そのときのその自分の中にあった“キンタマの揺れ”が、私が経験したもう一つの身体の躍動。今回はそれも取り入れて、もっとロジックではない、肉体の祝祭を打ち上げたいと思ったんです。それで今回、子宮班とキンタマ隊という二つの班をもうけました」