もはやDX企業の中外製薬 生成AIのアイディアをボトムアップで集めて束ね、“新薬創出短縮”を目指す
経済産業省により傑出した取り組みを続ける「DXプラチナ企業」として選定されるなど、製薬業界における先進DX企業である中外製薬。同社がDXを推進する中で、現在注力するのが「生成AIの民主化・実用化」だ。 【もっと写真を見る】
経済産業省により傑出した取り組みを続ける「DXプラチナ企業」として選定されるなど、製薬業界における先進DX企業として知られる中外製薬。同社がDXを推進する中で、現在注力するのが「生成AIの民主化・実用化」だ。 中外製薬 参与 デジタルトランスフォーメーションユニット長である鈴木貴雄氏は、「生成AIは、従業員を助けるものではなく“対等なパートナー”として、一緒に未来を切り拓くことに期待している」と説明。CoE設置やガイドライン策定、マルチAI基盤など推進体制を構築して、生成AI活用を推進している。 ここでは、AWSジャパンの説明会から、中外製薬の生成AI戦略や活用推進のための体制づくりなどを紹介する。 なぜ製薬業界に生成AIが求められているのか? 中外製薬がDXを進める背景には、“高騰する新薬創出コスト”がある。 「ひとつの薬ができるまで、失敗コストも含めると数千億円かかるといわれている。そして、臨床試験の成功確率は平均約11%、試験と審査の期間は平均約100か月必要になるなど、多大な時間と労力、コストをかけて新薬を開発している」と鈴木氏。加えて、研究開発の効率も年々下がっており、「メガファーマはここ10年間で6分の1にまで生産性を落としている」という調査結果もある。 業界が直面するこの課題を解決するために、中外製薬は、経営戦略の柱として「全社的なDXの推進」を掲げる。「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」としてあるべきDXの姿を公表しており、最先端のデジタル技術を用いながら、革新的なサービスの提供を目指している。 このビジョンの内、イノベーション創出を支えるテクノロジーとして基盤構築を急いでいるのが生成AIだ。この技術が登場して以降、「どうビジネスに活かせるか」という議論を重ねてきた同社の答えが、生成AIを「パートナー」にすることだ。 そのため生成AIの適用領域も、ロボットとして自動化を進める“業務効率化”の領域ではなく、人と生成AIのパートナーシップが活きる“定型的な価値創出”の領域に定めている。具体的に得られる成果としては、インサイトの抽出や意思決定の支援、社内ナレッジの活用が挙げられ、これらのシナリオを製薬ビジネスの現場に適用しつつ、推進体制の構築を進めた。 ボトムアップで生成AIのアイディアを収集、「点から線、線から束」にすることで効果を最大化 中外製薬における生成AI活用の中核となるのが、社内に閉じた環境で、安全に対話型の生成AIアシスタントを利用できる「Chugai AI Assistant」である。 これは内製で開発された生成AI基盤であり、RAGを用いて、社内のナレッジを基に回答を得られる。用途に合わせて6種類のAIモデルが選択でき、日々の業務におけるアイディアの壁打ち、社内規定や社内資産の検索、ファイルの内容要約などに活用されている。7000名以上の社員のうち1000名以上が日常的に利用しており、その利用率は増え続けているという。 また特定のユースケースとしては、“治験計画届提出後の照会対応”における活用が紹介された。過去の当局とのやり取りを参照して、生成AIが齟齬のない回答案のドラフトを作成。約57%の業務削減効果が得られるなど、治験の短縮化に寄与しているという。 このように、中外製薬では、各ユースケースで定量効果を算出している。製薬の現場で成果を出した“点”のユースケースを“線”としてつなぎ、さらに“束ねる”ことで、効率化を最大化するコンセプトを打ち立てる。最終的には、上市(新薬が市場に出ること)までの期間を削減して、一日でも早く患者の元に革新的な医薬品を届けることを目標とする。 鈴木氏は、「ひとつのユースケースだけでは、ビジネスを変革できない。点の業務を流れるように線でつなげて、点でつながった業務を束ねることで、例えば6年かかっている臨床試験が2年短縮できるかもしれない」と強調する。 そのためには、ボトムアップでアイディアやユースケースを吸い上げることが重要になる。同社が2024年8月時点で集めた生成AIのアイディアは約900件にのぼり、このうち約9件がPoC中もしくはPoC済みで、14件が本番開発中もしくは実装済みという状況だ。 AWSのコンサルサービスを活用し、内製主体のアジャイル体制で生成AI開発を進める このように生成AI活用の実用化を進める中で、それを支えるための推進体制も整備している。特化した人材を集めるCoE(センターオブエクセレンス)として「生成AIタスクフォース」を組織化。プロジェクトの推進支援をはじめ、独自LLMの構築検討、PoC環境や活用基盤の構築、人材育成、ガバナンスなど、各部門での生成AIの導入・開発を支援する役割を担う。 ガバナンスにおいては、リスクを「知財・著作権侵害」「偏ったアウトプット」「個人情報・機密データの漏えい」「目的外利用」「信憑性の欠如」「シャドーAI」という6つの領域で特定して、ガイドラインを策定。各国のハードロー(強制力を持つ規則)を待たずに、社内でユースケースごとのリスクレベルを設定して、ガイドラインを都度アップデートしていく“アジャイルガバナンス”の体制を築いた。 活用基盤としては、マルチクラウドな独自のクラウド基盤「Chugai Cloud Infrastructure」上で、マルチAIの生成AI基盤「Chugai AI Assistant」を構築。「常にトライアンドエラーで、より優秀で使いやすいものを選択できるように、マルチクラウド・マルチAIの仕組みをとっている」と鈴木氏。 また、開発のスピードを上げるために、AIプロジェクトはほぼ100%アジャイル開発で進めており、Chugai AI Assistantも、週次ペースでアップデートしているという。俊敏性と柔軟性を重視するために内製主体での開発体制をとっているが、すべてを自社で進めるのは困難であった。 そのため中外製薬は、AWSと協働することで、ここまでの生成AI活用の体制を築いた。コンサルサービスである「AWS プロフェッショナルサービス」を採用することで、生成AIの開発プラットフォームである「Amazon Bedrock」などの最新アーキテクチャの活用やアジャイル体制の維持・改善に役立ててきた。「まさにアジャイルチームにAWSが加わるという協働の仕方」(鈴木氏)。 今後、中外製薬では、Amazon Bedrockを利用して、業務に特化したAIエージェントの構築やRAG向けのデータソースの拡充、業界特有のコンプライアンスやデータセキュリティを担保するガードレールの構築など、Chugai AI Assistantの機能を拡充して生成AI活用を加速させていく予定だ。 文● 福澤陽介/TECH.ASCII.jp