初代ゴジラ造型助手・鈴木儀雄の貴重な制作秘話に万雷の拍手!山崎貴監督は「初代が持っていた反核、反戦を大事に」と継承の想い告白
現在開催中の第37回東京国際映画祭(TIFF)にて11月3日、『ゴジラ 4K デジタルリマスター版』の日本初お披露目となるジャパンプレミアがTOHOシネマズ日比谷で行われ、『ゴジラ-1.0』(23)の山崎貴監督、初代ゴジラの造型助手としてスーツ制作に参加した鈴木儀雄が出席。最後には歴代ゴジラ関係者約40名がステージに上がり、会場から感謝と敬意が込められた万雷の拍手を浴びた。 【写真を見る】歴代ゴジラ関係者約40名が登場!会場から大きな拍手を浴びた 1954年11月3日に『ゴジラ』が公開されてから、記念すべきゴジラ生誕70周年となるこの日。961万人の動員を記録し、その後日本のみならず世界中を席巻した怪獣映画の金字塔である『ゴジラ』を“新4K”版でよみがえらせた『ゴジラ 4K デジタルリマスター版』が、ついに日本初お披露目を迎えた。ステージの司会は、フリーアナウンサーの笠井信輔が務めた。 ゴジラのテーマに乗せて登壇した2人。日本国内で製作された実写版「ゴジラ」シリーズ第30作となった『ゴジラ-1.0』を手掛けた山崎監督は「鈴木さんのお話が聞けるということで来ました。今日はゴジラ70歳の誕生日。記念すべき日にこういう場所に立たせていただいて、本当にありがたく思っています」と感無量の面持ち。初代ゴジラ造形助手の鈴木は「あと2年ぐらいすると90歳です。19歳の時に、最初のゴジラの制作に参加させてもらいました」と自己紹介した。 鈴木にとって転機となったのは、多摩美術大学彫刻科の1年生の時のこと。鈴木は「お金がないと言っていたら、同級生から『うちのおじさんがゴジラという映画を作るらしいから、そこに行ってみたらどうか』という話をもらって。紹介状を書いてもらって、東宝の撮影所に行きました。小使いさんの自転車を貸してもらって、初めて撮影所の門をくぐりました。そこで初めて円谷(英二)先生にお会いして『アルバイトをしたい』と言うと、『そうか、そうか』と。円谷さんもまだヨレヨレの背広で、古い自転車で通っていました。まだそういう時代だったんですね」と円谷の親戚だった大学の同級生から紹介してもらったと、スタート地点について振り返った。 ゴジラのスーツを作るという初めての、未知なる挑戦。鈴木は材料集めに苦労したといい、スタッフがプラスチック工場などをまわりながら材料を探したとのこと。「中に入る人間の背丈に合わせてまず絵を描いて、その絵に沿って針金でゴジラの形を立体的に作り、そこから金網を張っていきます」という制作段階においても何度も失敗しながら試行錯誤を繰り返したと話す。最初に作った1号ゴジラは、重くて動かなかったのだとか。鈴木は「(中に入る)役者さんが重くて、怒って。芝居ができないと。何回か作り直しました」と告白していた。 するとゴジラファンの笠井は「記録を見ても、白黒の写真しか見たことがない。実際に作られたゴジラは何色でしたか?」と気になっていた疑問をぶつけ、鈴木は「ねずみ色です」と回答。笠井は「我々がいまイメージしているゴジラとあまり変わらない感じですか?」と興味津々になって質問を重ねると、鈴木は「変わらないです。もちろんねずみ色の一色ではなく、銀色、緑、茶色などを使ってバランスをつけていますが、基本的にはねずみ色です」と秘話を明かす。またスーツのなかは「とても暑い」とも話し、「汗の水でじゃぶじゃぶ」だったと懐かしそうに目尻を下げていた。 山崎監督による『ゴジラ-1.0』は興収76億5000万円の大ヒットを記録し、第96回アカデミー賞ではアジア映画として初めて視覚効果賞に輝くなど、ゴジラ映画に新たな歴史を刻んだ。山崎監督は、第1作目の『ゴジラ』から多大な影響を受けながら『ゴジラ-1.0』を完成させたという。「(ヒロイン)典子が包帯でこちらの目が見えない感じとかもやっていますし、あとで気づいたんですが海神作戦 (わだつみさくせん)で、あぶくが出てくるところは『オキシジェンデストロイヤーですね』と言われたことがあって。『そういうことにしていいですか?』と言ったんです」と会場を笑わせながら、「初代の好きなところはいっぱい使わせていただいています」としみじみ。 今月1日に地上波初放送された『ゴジラ-1.0』のエンディングでは、山崎監督のもと新たなゴジラ映画が製作されることが発表された。引き続きゴジラに挑んでいく山崎監督だが、初代から「受け継いでいきたいもの。守りたいもの」という話になると、「最近は“和製ゴジラ”という言い方があると思うんですが、僕らが作るものは初代にあった反核と反戦ということは、大事にしなければいけない。もちろんいろいろなタイプのゴジラ映画があっていいと思いますが、自分としては初代が持っていた気持ちは大事にしていきたい」と力を込めていた。ステージをあとにする鈴木には、会場から割れんばかりの拍手が上がっていた。 取材・文/成田おり枝