力を振り絞った必死の回避…「戦艦大和」が「大量の敵機」から「一斉攻撃」を受けたとき、艦内で起こっていたこと
戦闘開始
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。 【写真】戦艦大和のこんな姿が…! 呉工廠での最終艤装中の姿 そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。 本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。 吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。 やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。 その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。 同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。 4月6日の午後に出港した大和ですが、翌7日の12時30分ころ、ついに100機以上の敵機から攻撃を受けます。吉田が見た戦闘の様子について、同書より引用します。 *** 一二三二(十二時三十二分)、二番見張員ノ蛮声「グラマン二機、左二十五度(方向角、正面ヨリ左ヘ二十五度)高度八度、四〇(距離四千米)右ニ進ム」 忽チ肉眼ニ捕捉 雲高ハ千乃至千五百米 機影発見スルモ至近ニ過ギ、照準至難、最悪ノ形勢ナリ 「今ノ目標ハ五機……十機以上……三十機以上……」 雲ノ切レ間ヨリ大編隊現ワル 十数機ズツ編隊ヲ組ミ、大キク右ニ旋回 正面ニ別ノ大編隊 スデニ攻撃隊形ニ入リツツアリ 「敵機ハ百機以上、突込ンデクル」 叫ブハ航海長カ 雷撃、爆撃トモニ本艦ヘノ集中ハ必至 艦長下命「射撃始メ」 高角砲二十四門、機銃百二十門、一瞬砲火ヲ開ク 護衛駆逐艦ノ主砲モ一斉ニ閃光ヲ放ツ 戦闘開始 今ゾ招死ノ血戦、火蓋ヲ切ル ワレハ初陣 肩ノ肉盛リアガリ腿踊リ出ダサントスルヲ抑エツツ、膝ニカカル重量ヲハカル コノ身興奮ニタギリツツミズカラノ昂リヲ眺メ、奥歯ヲ嚙ミ鳴ラシツツ微カニ笑ミヲタタウ 身近ノ兵、弾片ニ倒ル 圧倒スル騒音ノウチニソノ頭骨壁ヲ叩クヲ聞キ分ケ、瀰漫スル硝煙ノウチニ血ノ匂イヲ探ル 「敵ハ雷爆混合」甲高キ声 編隊ノ左外輪「浜風」忽チニ赤腹ヲ出ス、ト見ルヤ艦尾ヲ上ニ逆立ツ 轟沈マデ数十秒ヲ出デズ タダ一面ノ白泡ヲ残スノミ 乗員ノウチタマタマ外面ニサラサレタル者、被雷ノ衝撃、誘爆ノ風圧ノタメ飛散シテ水面ニ落チタリ ソノ後絶望ノ空戦ノ傍ラニ漂流スルコト五時間、ヨク数十名ノ生存者ヲ出セリトイウ (中略) 雷跡ハ水面ニ白ク針ヲ引ク如ク美シク、「大和」ヲ目指シ十数方向ヨリ静カニ交叉シテ迫リキタル 雷跡ノ目測距離ト測角ヲ回避盤ニ睨ミツツ、艦ヲ魚雷方向ト平行ニ運ビ、ギリギリニカワス 至近ノ火急ノモノニ先ズ注目シ、コレヲカワシ得ルコト確実ノ距離ニ至レバ直チニ次ニ移ル 要ハ見張ト計算ト決断ナリ 艦長ハ艦ノ全貌ヲ見渡ス吹キ曝シノ防空指揮所ニアリ 少尉二名コレニ侍シテ回避盤ヲ睨ミ、鞭ヲ揮ッテ四周ノ魚雷ヲ艦長ニ伝ウ 航海長ハ艦橋ノ艦長席ニ坐シ、二者一体ノ操艦ナリ 艦長ノ号令、伝声管ヲ貫イテワガ耳ヲ聾ス 語尾ワレテ凄マジキ怒声ナリ 爆弾、機銃弾、艦橋ニ集中ス 「大和」ハ軸馬力十五万馬力ヲ全開、最大戦速二十七「ノット」ヲ振リシボリ、左右ニ舵一杯ヲトリツツ必死ニ回避ヲ続ク 外洋ノ航行ニモ陸地ニアル如キ安定ヲ誇ル本艦モ、サスガニ動揺震動甚シク、艦体ノ軋ミ、装備ノ摩擦音喧シ アワヤ寸前ニ魚雷ヲカワスコト数本、遂ニ左舷前部ニ一本ヲ許ス *** 兵士の緊迫感や仲間の死を目の当たりにした絶望感が克明に描かれています。 * 【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。
群像編集部(雑誌編集部)