【記者の視点/松下優介】 100年愛される森に、伝説の海運マンがつなぐ魂
「きれいな森をつくるには最低100年かかりますので、私も今の年齢に100を足して164歳まで生きることにしました。皆さまにご賛同いただければ幸いです」 今月14日、日本郵船が静岡県御殿場市で手掛ける森林再生プロジェクト〝ゆうのもり〟のオープニングセレモニー。プロジェクトリーダーを務める同社ESG経営グループサステナビリティイニシアティブチームの間庭浩調査役があいさつに立ち、プロジェクト誕生の経緯と今後の計画を軽妙に明かした。 ◆ 「ゆうのもり」は手入れが行き届いていなかった針葉樹中心の人工林を、郵船グループの社員が地域とともに植生の森に再生する長期プロジェクトとして始動。用地取得や許認可申請などの準備期間を経て、約4・6ヘクタールの面積を有する森林として誕生した。 発端は2021年1月、間庭氏に入った1本の電話だった。 「当時社長だった長澤(仁志会長)から『荒れた森をきれいな森に変えたいんだ』と話があり、数日考えて、ぜひやらせてくださいと答えました」 その理由を長澤会長は開所式でこう説明した。 「われわれがお世話になっている海をきれいにするには、川をきれいにする必要があり、川をきれいにするのは山。だからこそ、豊かな生態系を持つ森をつくって川上を整備したいと考えた」 森林の回復で水源涵養(かんよう)機能を強化し、海洋環境の保全につなげる〝海への恩返し〟。これが同プロジェクトのコンセプトだ。 かくして間庭氏は引き受けたが、「陸に上がったカッパのようなもの」だった。海運の営業畑を歩んできたため、山のことなど知らなかったからだ。 そこから森林コンサルティング会社に相談を持ち込み、9カ所の森を視察するなど候補地選びに奔走。「放置された針葉樹の人工林が土砂災害などを引き起こすと学び、これを広葉樹に転換する天然林化を目指すと決めた」 今の場所を選んだのは「ここなら安全だと一目ぼれした」からだ。他の候補地が全て急峻(きゅうしゅん)な山坂にあった中、緩やかな斜面は子供も歩きやすい。御殿場市役所などの協力もあり地主の理解を得て、開所にこぎ着けた。 ◆ 間庭氏が164歳まで生きることにしたのは、生まれたばかりの「ゆうのもり」が郵船グループという親の手を離れ、地元の人々に愛される森として自立する未来を見据えているからだ。 「人が手を入れて100年たてば、きれいな森ができる。その森が400年たつと、人の手を借りずに環境に応じて自ら遷移するようになる。森も生き物なので、生まれ変われるわけです」 こう学んだ間庭氏は当時社長だった長澤会長に直談判した。 「相手は生き物なので途中で止めるわけにはいかない。100年コミットしてください。長澤にそう頼んだら、『え? 俺がか?』と(笑)。いえ、あなたはそんなに生きられないでしょうから、会社としてコミットしてくださいとお願いしました」 間庭氏は「100年となれば郵船グループの社員だけでできる話ではない」と述べ、〝ゆうのもり〟で今秋から来春をめどに、御殿場市民をボランティアとして受け入れる方針を示した。 曽我貴也社長がそれを受けて語る。 「御殿場市民の方々に入っていただき、今の情熱や魂、意義を未来につないでいただくことが何より大事だ。会社がいつまで持つかは定かでないが(笑)、地元の方々の心は永遠に続くはずだから」 複数の関係者によると、間庭氏は豪快な海運マンとして名高く、新聞などでは表現し切れない数々の伝説を持つとされる。 夜更けと海が似合う男が、真っ昼間の森で話した言葉は妙にグッとくる。 「やっとスタート地点。これからが本番。死ぬ気で、気合を入れて、市民の皆さまに愛される森をつくりあげたい」
日本海事新聞社