女優・真屋順子さんが死去 昭和のほのぼのバラエティー「欽どこ」を振り返る
夫で俳優の故・高津住男さんに支えられ一時は舞台復帰も
2000年代に入ってからは闘病を繰り返し、脳梗塞を発症するなどしたが夫で俳優の高津住男さんの懸命な看病や強靭な意思で復活、車椅子で舞台に復帰するなど女優業を続けた。しかし10年には長年連れ添った住男さんと死別。11年には大動脈瘤(りゅう)が見つかり、4時間に及ぶ手術を受けるなどし、最近はほぼ寝たきりの状態だったという。 真屋さんは1942年生まれ、大分県日田市で育った。地元の高校を中退後、松竹歌劇団(SKD)入団。その後、俳優座養成所を卒業(俳優座13期生)し、女優の道をひた走る。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」でテレビ初出演、77年の時代劇ドラマ「人形佐七捕物帳」が評価され、京都市民映画祭テレビ映画部門女優賞を受賞するなど、確かな演技力、女優としての実力があればこそ、自然体で表現できた”みんなのお母さん”だった。 (文・志和浩司)