震災直後の書店で、子どもたちは1冊の雑誌を回し読みし、笑い声を響かせた ありがとう「伝説のジャンプ」―仙台の2代目店主、62年の歴史に幕
▽閉店の日、常連客が惜別の拍手 その後の10年余り、既存の書店を取り巻く状況は書籍の電子化などで厳しさを増し続けてきた。塩川さんも売り上げの回復が難しく、閉店を決断。「無理してでも続ける価値がある」と医療事務の副業をしながら妻と二人三脚で切り盛りするのは限界だった。閉店が近くなっても、当時の子どもたちは来てくれていたという。 今年8月31日、62年の歴史に幕を下ろした。「ずっとあるものだと思っていた」「お元気で」。常連客らが店を訪れ、別れを惜しんだ。営業を終えた午後8時ごろ、塩川さんは店の前に立って「父親の代から62年間、今日閉店を迎えます。本当にありがとうございました」とあいさつ。集まった人々から拍手が送られた。 「幼い頃から来て青春の一部だった。寂しい」と話したのは、震災当時にティーンエージャーだった近所の女性会社員(28)。塩川さんは「お客さんと一緒に人生を歩めて良かった」と振り返り、明かりの消えた店先に立つと「明日からは電気がつかないんだな」としみじみ話した。
入り口の両脇に飾られていたのはたくさんの花々。贈り主として「集英社販売部一同」「週刊少年ジャンプ編集部」「週刊少年ジャンプ漫画家一同」の名がつづられていた。 ▽「人生が変わる一冊、どこかにある」 かつてジャンプが読めると告知した店先には8月下旬から、苦楽を共にした店での日々をつづった張り紙が増えていき、8月31日の閉店時には約20枚に上った。 「まわり道 より道 遠まわり そんな本屋人生でした」 「人生が変わる 一冊の本 どこかの本屋の どこかの棚にある ひっそりと それと出会えるのは 本屋だけだ(きっと)」 「精一杯やった!という気持ち!! ここまでだ!という気持ち もう少しというキモチ…」 「これから 本を売る側から 本を買う側になる ちょっと ワクワク する」 日本出版インフラセンターによると、10年間で閉店した書店は全国で約5千店に上る。塩川さんは「時代の変化とともに売る雑誌が減り、売り上げが落ちた。時代の波にあらがえなかった」と寂しげに語った。今後は書店の経営を退いても「紙の文化はなくならないし、なくしてはいけない」と願い、他の店には長く続けてほしいという。