「 陰キャ」にはつらすぎる! 窮屈×集団生活×人間関係、宮中ぐらしの3重苦。ブレずに「自分らしさ」貫ける?【NHK大河『光る君へ』#32】
【史実解説】女房は「ネクラ女性」には不向きな職業?紫式部は人間関係に悩んでいた
次週以降、本作ではまひろの宮中での暮らしが描かれると思いますが、史実における紫式部の宮中での様子を少しのぞいてみましょう。 紫式部は彰子の女房にならないかという誘いを受けたとき、宮仕えは落ちぶれた女のすることとして、気乗りしなかったという説があります。彼女が宮仕えを決めたのは宮中に対する憧れや自身の見識を深めるためというよりも、父・為時の年齢なども鑑みた経済的な事情によるといわれています。 女房は帝や中宮、その子どもたちとの距離が近く、宮中の行事など貴重な体験ができるものの、日々の暮らしは大変なものでしょう。就寝時は複数人の女房との相部屋になることが多いため、プライベートな空間の確保は難しいと考えられます。また、女房は人にお仕えする立場ですが、彼女たちの多くが実家では「姫さま」と呼ばれる身分です。例えば、本作では、まひろは乙丸(矢部太郎)やいと(信川清順)を従えていますし、賢子(永井花奈)のおしめ交換は基本的には乳母の仕事でした。女房として宮中に入ると、自分や我が子が他人にしてもらっていたようなことを、中宮やその子どもに行わなければなりません。 さらに、宮中では人間関係の悩みがつきものです。同僚から気に入られなければ、悪口や無視の対象になることも。紫式部も無視やあからさまに表される嫌悪感に悩まされることもありました。 また、紫式部は自身が属する彰子サロンについて気を揉んでいたと考えられます。清少納言が属していた定子サロンは華やかで、宮中の男たちを惹き付けていましたが、紫式部が属していた彰子サロンは魅力がいまひとつ欠けていたよう。紫式部はサロンの状況や彰子に仕える女房たちの振る舞いに批判的なまなざしを時には向けていました。 ▶つづきの後編記事『平安時代、藤原道長も「肝試し」をしていた⁉ しかも、都には「鬼」まで棲んでいたなんて、コワッ!』では、平安時代における「鬼」について見ていきます。作品の背景を深掘りすることで、物語をもっと楽しむことができるはずです。 参考資料 木村朗子『紫式部と男たち』文藝春秋 2023年 倉本一宏 (監修)『大河ドラマ 光る君へ 紫式部とその時代』宝島社 2023年
アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗