「香港人権法案」署名時宣言に隠されたトランプ大統領の意図
米中貿易交渉への影響は限定的か
中国は法案が最初に米下院でまとまった段階から「内政干渉」と強く主張し、大きく反発してきた。今回の法案署名に際しても、中国側は米国に対して報復措置をとる方針を表明した。法案の立法化は米中の今後の大きな対立の争点となる。 ただ、このトランプ大統領の署名がどれだけ米中対立を加速させるのかについては、何とも言えない。すでにアメリカ製品の関税は最大限に上げているため、貿易交渉で中国側の切れるカードは多くない。せいぜい年内中と予想されている米中貿易交渉の第1弾の合意がずれ込むぐらいだろう。 中国側は香港のデモを先導してきたのがアメリカのCIA(米中央情報局)であるという主張を繰り返してきたため、香港や中国に居住するアメリカの政府関係者が摘発されるような事態も出るかもしれない。
習近平氏への「配慮」より「皮肉」?
注意する必要があるのは、成立したこの法案を運用するのは大統領であるという点だ。トランプ大統領は署名の際、「一部の条項が大統領に憲法上、保障された外交政策遂行上の権限に干渉している」とし、運用には慎重を期する趣旨の言及を行っている。これは、アメリカ政治学でいうところの「署名時宣言(signing statement)」に他ならない。署名時宣言とは、大統領が法案に署名する際に条文の問題点を指摘し、場合によっては条文に従うような運用を行わないという宣言である。 成立したこの法案を運用するのは大統領である。トランプ氏は、その運用に幅を持たせることで中国との貿易交渉に使える「カード」として、中国との「取引」に使えるとみているのかもしれない。 米中貿易戦争が日本を含めた世界経済にとっての懸念となっている中、トランプ氏にとっては、成立した法案の運用という中国に対する新しい圧力材料を手に入れたといえるのかもしれない。そう考えると、署名時にトランプ大統領が伝えた「習近平国家主席と香港の人々への敬意をこめて署名した」という言葉は、「習氏に対する配慮」というよりも最大級の皮肉にもとれる。 -------------------------------------------- ■前嶋和弘(まえしま・かずひろ) 上智大学総合グローバル学部教授。専門はアメリカ現代政治。上智大学外国語学部英語学科卒業後、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(単著,北樹出版,2011年)、『オバマ後のアメリカ政治:2012年大統領選挙と分断された政治の行方』(共編著,東信堂,2014年)、『ネット選挙が変える政治と社会:日米韓における新たな「公共圏」の姿』(共編著,慶応義塾大学出版会,2013年)