「お母さん、早く離婚して」“厳しすぎる父”に思わず本音がポロッと…柔道が嫌いだった斉藤立のヤンチャ少年時代「母を悩ませた“最強の遺伝子”」
一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿は、パリ五輪・柔道男子100kg超級の代表に選ばれた斉藤立(たつる)(22歳)のエピソードです。亡き父に誓う、初の親子二代での金メダル……母・三恵子さんにここまでの歩みを訊いた。《全2回の1回目/後編に続く》 【画像】「めっちゃデカい」体重45キロの幼稚園児…“最強の遺伝子”を継承した重量級・斉藤立の少年時代を見る! 亡き父の形見、五輪ブレザーや色褪せた黒帯も(30枚超)
亡き父が羽織った真っ赤なブレザー
「まさかこのタイミングに戻ってくるなんて……ずっと、どこかにいってしまっていたんですよ。だからこれは、主人からのメッセージなんじゃないかって」 亡き父が身にまとったソウル五輪日本選手団公式の真っ赤なブレザーを眺めながら、母・三恵子さんはしみじみと語った。 国士舘大学の教え子の手元にあったという形見は、昨年、35年ぶりに斉藤家に帰還した。2015年に他界した父の仏壇がある和室に飾られている。 「天国から見ているぞ」なのか、それとも「まだまだ練習が足りんぞ」というダメ出しなのか――息子がパリ五輪代表に内定したタイミングで手元に戻ってきたことに、運命を感じずにはいられない。 斉藤立の父・仁さんは1984年のロサンゼルス大会、1988年ソウル大会でオリンピック連覇を果たした日本柔道界のレジェンドで、全日本代表監督も務めた。 斉藤はその父が得意とし、幼い頃から叩き込まれた「体落とし」を武器に最重量級で台頭。2021年のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初制覇を果たすと、2022年に全日本選手権で初優勝、同年からは2年連続で世界選手権代表にもなった。 192cm、165kgという、日本人離れした体格も目を見張るものがある。 その片鱗は少年時代から窺えた。 右肩上がりですくすくと成長すると、幼稚園の卒園時に体重はすでに45kgに到達。周りの同世代の子どもに比べるとその身体の大きさは3倍以上で、それは当時の写真を見ても一目瞭然。まさに父親譲りの体格だ。 しかし、身体が大きいゆえに度々、三恵子さんの頭を悩ませた。 「ずっと身体が大きくて、何をするにも、同じ年のお子さんの倍……3倍ぐらいの迫力や威力がある。だから、ちょっとしたことでも大事になってしまって。隣にいた明らかに年上のお子さんのオモチャを取って、その子の母親に『それはお兄ちゃんのオモチャやから貸してあげなさい』って。いやいや、この子はまだ3歳ですって(笑)。それを何かある度に言わないといけなくて」 中学生になると学校ではイタズラばかりのいわば“悪ガキ”。身体が大きいことで余計に目立ってしまうのか、何度も始末書を書かされた。学校からは2度も退学勧告されるほどだった。
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