尾身氏「コロナ対策には唯一絶対の正解がない」100本以上の提言の裏にあった葛藤 専門家として政府に助言してきた3年半を振り返った本が出版 印税は全て結核対策に
政府に新型コロナウイルス感染症の対策を助言してきた尾身茂氏が専門家のリーダー役を8月末に退いた。緊急事態宣言、東京オリンピック・パラリンピックの無観客開催、5類移行―。およそ3年の節目にさまざまな分野のスペシャリストらと一緒に政府や国民に向けて出してきた提言は100本以上。その裏にはそれぞれ葛藤があり、提言を〝作品〟と呼ぶほど強い思い入れがある。「コロナ対策には唯一絶対の正解がない。われわれは完璧だとは思っていない。本当に提言が適切だったかどうかは検証してもらいたい」と尾身氏。これまでのコロナとの闘いを記録した本を出版する。印税は全て感染症の結核対策に使う予定だ。(共同通信=鈴木優生、村川実由紀) ▽「一番大変な思い出」東京オリンピック前の提言 2020年2月24日に専門家会議のメンバーとして最初の提言を出した尾身氏は「この1~2週間ぐらいが感染拡大、抑制できるのかの瀬戸際です」と記者会見で述べた。その後、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会長を務め、専門家有志の意見を提言として取りまとめてきた。時には政府の見解と異なる提言もあった。特に注目されたのは2021年夏の東京オリンピック・パラリンピック開催前に出した「無観客開催が最も感染拡大リスクが低く、望ましい」という内容の提言だろう。尾身氏も「一番大変な思い出」と振り返る。3、4日ほとんど徹夜をして書き上げたが、政府側と一致しない見解を出すには相当の覚悟が必要で最も労力を使った。夏休みやお盆と重なり感染者が増える時期。「オリンピックの開催時に医療逼迫など大変な状況になるのは分かっていた。政府が煙たがるからという理由だけで何も言わないのでは責任が果たせるのか、歴史の審判に耐えられるのかという思いがあった」
医療崩壊を防ぐため、緊急事態宣言などの強い行動制限も助言した。ただその一方で、飲食業や宿泊業に影響し、国内総生産(GDP)の低迷や失業率の上昇などさまざまなことが起きた。この点について尾身氏は「感染を抑えようとすると社会経済への影響が確かにあった。なるべく影響を抑えようと、かなり早い段階で軌道修正の議論を始めていた」と語る。社会経済への影響を最小限にして対策の効果を最大限に出すことは当初から目指していたとし、その結果、日本のコロナによる死亡者数は経済協力開発機構(OECD)の加盟国の中では比較的低く抑えられ、分科会メンバーの経済学者からは、GDPへの影響は他の加盟国並みだったと聞いているという。 ▽膨大な時間を費やした自主的な「勉強会」 提言に関する議論は、毎週日曜日や平日の夜に開かれた感染症、公衆衛生、疫学、ウイルス学、社会学などの専門家たちの自主的な「勉強会」で繰り広げられた。「未知のウイルスで誰1人全体像は知らない。専門領域、価値観に基づいてそれぞれの意見をざっくばらんに話してもらうしかなく、膨大な時間を費やした。日曜日はほぼ6時間以上」。率直な議論の中では意見の相違も生まれたが、尾身氏は「むしろそれを歓迎した」と語る。「唯一の正解がない中で幅を持った合理性のためにはメンバーそれぞれから良いところをピックアップするような議論が不可欠だ」。危機は目の前にあり、社会的な実証実験をするわけにはいかない。コロナに関する十分な研究結果が揃っているわけでもない。それでもできる限り根拠がある提言を出すよう工夫してきたと強調する。