聖書には記されていない、聖母マリアの最期をめぐる美術史―桑原 夏子『聖母の晩年―中世・ルネサンス期イタリアにおける図像の系譜―』
彼女はどのように生を終えたのか――聖書には記されていない「聖母マリアの最期」をめぐって、歴史上さまざまなイメージが生み出されてきました。その知られざる美術史を探究した『聖母の晩年』がこのたびついに刊行。今回は、著者・桑原夏子氏による書き下ろしの自著解説を特別公開いたします。 ◆聖書には記されていない、聖母マリアの最期をめぐる美術史 ◇聖母晩年伝作例を求めて 険しい山道を登ること1時間、ようやく目当ての聖堂が見えてきた。扉をそっとあけて、しばし、堂内の暗さに目が慣れるまでじっと待つ。やがて、薄暗い堂内に描かれた壁画が少しずつ姿を現す。中世の聖堂壁画との一期一会の出会いの瞬間は、いつも胸が高鳴る。ぼうっと見とれるのも束の間、「sviscerareせよ(はらわたを抜き出すように徹底的に調査せよ)」という指導教授の言葉を思い出し、いそいそとリュックから双眼鏡とカメラを取り出す。堂内のどの部分に何の主題が描かれているのか、それらはどのような順で配置されているのか、どのような典礼装置が設置されているのか、人々は堂内のどの位置まで入ることができ、そこから壁画はどのように見えるのかを撮影し、ノートにメモをとっていく。そして壁画に近づき、ペンライトでその表面を照らし出し、形を、輪郭線を、筆のひと捌けひと捌けを、細部のモチーフを観察する。――私の視線の先にあるのは、聖母マリアの晩年の物語を表した壁画である。聖母晩年伝作例を求めて、この数年間、私はイタリアを中心に各地を訪ね歩いてきた。 ◇聖母晩年伝の多様な図像 聖母の晩年とは、聖母マリアの地上での最後の日々を指す。聖母に死の告知がなされ、十二使徒たちが看取りのために聖母のもとに集まり、そして聖母は臨終を迎える。魂が天に運ばれ、葬儀が営まれ、亡骸が墓地へと運ばれ、埋葬される。そしてその後、聖母の体は天にあげられ、彼女は天上で女王として戴冠されるのである。この一連の物語を描いた作例は、現存最古のものとしては9世紀のローマの壁画があげられる。この主題群は、12世紀後半には北フランスの商工業都市の大聖堂の扉口を、そして13世紀から15世紀にはイタリア各地の重要な都市の聖堂を飾った。しかしその表し方(図像)は多様で、たとえば同じ「聖母のお眠り(死)」の場面であっても、キリストが聖母の魂を抱きとり、それを空飛ぶ天使たちに手渡そうとするものもあれば、キリスト自身が聖母の魂を抱えて天に向かうものもある。 その他の主題も同様で、各時代、各地域の作品ごとにかなり違った特徴を示している。聖母晩年伝の表象は、いつ、どこで、どのように作り上げられ、そしてどのように各地に伝わっていったのか。なぜ特定の表象がそれぞれの時代や地域で受け入れられたのか。そうした疑問から、私は各地の聖母晩年伝作例を探し求めた。 ◇聖書のスピンオフとしての聖母晩年伝 歴史を繙くと、431年のエフェソス公会議でマリアは「神の母」として認められ、それをきっかけに彼女の晩年についての関心が急速に高まったことがわかる。その結果、5世紀後半頃から、聖書に記述のない聖母の晩年についての複数の偽書(Apocrypha)が記された。これらは正典とされる聖書とは別に作られたストーリーであり、俗な言い方をすれば聖書のスピンオフである。問題は、そのスピンオフにいくつかの種類があったことである。どのスピンオフ作品が最も真実に近いと言えるのか。それを議論する間もなく、それぞれの地域に伝わった偽書の内容は、各地で信仰的真実として受容されていった。その結果、無数の聖母晩年伝の表象が生まれたのである。偽書は現存するだけで9言語63種類があり、その分布は地中海圏全域に及ぶ。 聖母の晩年についての理解は、なんと20世紀半ばになるまでローマ・カトリック教会の中ですら決着を見なかった。1950年、ローマ教皇庁は、聖母晩年伝のなかでクライマックスとも言える聖母の体ごとの被昇天についてそれが真実であるとの公式見解を発表した。つまり、431年から1950年までのおよそ1500年のあいだ、聖母の晩年とその後の出来事について複数の「信仰的真実」が存在し続けていたのである。 ◇行脚と調査の末に見えてきたもの――聖母晩年伝図像の一千年にわたる変遷 関連する作例を一つ一つ調査していくと、聖母晩年伝作例は大都市の聖堂や為政者の礼拝堂にも、寒村の小さな聖堂にも見つかった。特に地方の小聖堂の調査は困難をきわめた。まつげについた雪片が凍る寒さのなか、いつまで経っても来ないバスを体を丸めて待ち続けることもあれば、公共交通機関などなく、日陰のない灼熱の道をとぼとぼと歩き続けることもあった。たった一つの作品を見るために、電車、バス、船、タクシー、さらに自転車を1日のうちに全て乗り継いだこともある。それでも、苦労の果てに聖堂に辿り着き、誰かの訪れをじっと待っていたかのような作例に出会うと、それまでの苦労は一気に吹き飛んだ。そして夢中になってその作例の記録をとっていったのである。 このたび刊行した『聖母の晩年――中世・ルネサンス期イタリアにおける図像の系譜』には、聖母晩年伝作例を求めて各地を行脚した結果見えてきたことが、数多くの図版と共にギュッと詰め込まれている。第I部では、聖母晩年伝図像がどのようにして生まれ、伝播し、どのような条件において受容されたのかを示したが、そこには10世紀前後のビザンツの洞窟聖堂から12世紀フランスの大都市の聖堂、13世紀のイタリア各地の聖堂が顔を揃えている。第II部では、中世イタリア美術を牽引したドゥッチョ(1255頃―1319)とジョット(1267頃―1337)を中心とする聖母晩年伝図像の展開を、一つの地域にフォーカスしたり、反対にアドリア海やアルプス山脈を越えた地域にまでズームアウトして考察することで明らかにした。第III部では、アヴィニョンとローマの教皇館における「ある作品」の存在を想定し、それが14世紀後半から15世紀のイタリア各地の作例に及ぼした影響について論じた。この本に登場する各作品の抱える問題は一様ではない。そのため図像の分析に加え、様式分析や史料分析も行い、当時の埋葬伝統や死生観の変化、修道会による聖地回復への欲求と偽書研究、都市の聖母崇敬、女性たちによる聖母への自己投影と瞑想、教皇庁による正統なる権威への意識、同信会による弱者へのケア、珍しい図像に対する画家たちの反応と受容、ローマ教会と正教の互いの図像伝統への関心など、さまざまな論点をかけ合わせることとなった。5世紀から15世紀まで、もっとも関連作例数の豊富な一千年のあいだに、聖母晩年伝図像がどのように生まれ、各地に広がり、反発あるいは受容されたのか。そこにどんな物語――聖母の物語だけではなく、それが受容された社会の物語――があったのか。多くの貴重な図版と共に、ぜひその目でたしかめていただきたい。 [書き手]桑原夏子(早稲田大学高等研究所専任講師、博士(美術史)) [書籍情報]『聖母の晩年―中世・ルネサンス期イタリアにおける図像の系譜―』 著者:桑原 夏子 / 出版社:名古屋大学出版会 / 発売日:2023年12月27日 / ISBN:4815811415 ALL REVIEWS 2023年12月27日掲載
名古屋大学出版会
【関連記事】
- 自我と社会のあり方を変革する、知の巨人テイラーの哲学的考察―チャールズ・テイラー『自我の源泉―近代的アイデンティティの形成―』中野 剛充による書評
- 全体像をクリアーに復元、複雑な財布事情から天皇制を考える―加藤 祐介『皇室財政の研究―もう一つの近代日本政治史―』
- 物理学の100年、華々しくも苦難に満ちたその歴史とは。名著でひもとく―ヘリガ・カーオ『20世紀物理学史』岡本 拓司による解説
- なぜ民主主義からナチズムが生まれたのか―原田 昌博『政治的暴力の共和国―ワイマル時代における街頭・酒場とナチズム―』
- 平安の貴族たちが流していた涙は万葉人の場合とは違っていた?自然の涙と歌ことばの涙の違いとは―ツベタナ・クリステワ『涙の詩学―王朝文化の詩的言語―』山折 哲雄による書評