【紅白の定番】石川さゆり「天城越え」が愛されるスゴイ理由…ヒントは布袋寅泰の「ひと言」にあり
● 1980年代にヒットしたのは イントロが16秒以上の長い曲 このグラフは、1980年~1989年の年間シングルチャートTOP100にランクインした楽曲のイントロ秒数を数え、平均秒数を算出したものです。 10年間の平均秒数は18.7秒。一番短い年でも1982年の平均16秒。1980年代は、イントロをしっかりと聴かせる曲がヒットしていたことが読み取れます。 では、なぜイントロをしっかりと聴かせる曲がヒットしていたのか。 それはテレビの歌番組が強い影響力を持っていたからです。 1980年代は、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』といったランキングを生放送で紹介するテレビの歌番組が40%を超える視聴率を記録し、単なる音楽番組にとどまらず、時代の空気を映し出す、国民的なエンターテインメントだった時代でした。 毎週生放送だった番組には何が起こるかわからない緊張感があり、視聴者は画面を通して伝わってくる、そのドキドキする感じを楽しみにしていました。緊張感を魅せる演出のために重要だったのが曲のイントロです。 歌番組に登場したアーティストが、歌唱前のトークでつかんだ空気を「それでは、歌ってもらいましょう!」という司会の一言から流れるイントロから音楽の世界へ導くことで、トーク時とは全く異なる間やテンポを生み出していく。 つまり、長いイントロがあることで何かが起き続けている!という臨場感を生み出していたのです。 反対に、イントロが無く、歌い出しからはじまる曲だと、視聴者にこの臨場感を鮮明に伝えることは難しかったと思います。 私はこの時代に、五輪真弓「恋人よ」(1980年)、少年隊「仮面舞踏会」(1985年)、中山美穂「WAKU WAKUさせて」(1986年)、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」(1988年)、Wink「淋しい熱帯魚」(1989年)など、数多くのヒット曲で編曲を手掛けた船山基紀氏にお会いし、インタビューをしたことがあります。(編集部注:イントロを作っているのは多くの楽曲の場合作曲家ではなく、編曲家)