1987年の辻発彦さん「伝説の走塁」分析と連携で日本一もぎとる…涙ぐむ清原選手に「ボール見えるのか」
埼玉西武ライオンズ元監督 辻発彦さん
1980~90年代にプロ野球・西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の黄金期を堅守巧打で支えた辻発彦さん(65)。現役を引退した後もコーチや監督として活躍し、厳しくも明るい人柄が多くのファンに愛されてきた。「人生はタイミング。チャンスが来たときに悔いが残らないように、自分を信じて進むだけ」と信条を語る。 【写真】試合前の西武ナインを見つめる辻さん。「野球にひたすら打ち込めて幸せだった」
野球ファンの記憶に残るプレーがある。
1987年の日本シリーズ。巨人を相手に3勝2敗で、日本一まであと1勝として迎えた第6戦。八回裏の攻撃、2―1とリードした場面で安打を放ち、一塁へ進んだ。
「あと1点とれば、日本一は決定的だ」
続く秋山幸二選手が中前打を放つと、二塁を蹴って迷わず三塁へ。このとき巨人サイドは「俊足の辻が三塁まで行くのは仕方ない」と思ったはずだ。だが、違った。巨人の中堅手ウォーレン・クロマティ選手の返球の緩さは、ミーティングで西武ナインの頭にたたき込まれていた。三塁で腕を回す伊原春樹コーチの鬼気迫る表情を見て、瞬時に勝負に出た。
スピードを落とさず三塁も蹴ると、一気に本塁へ。虚を突かれた中継の遊撃手川相昌弘選手は、本塁へ返球すらできなかった。分析と連係でもぎとった1点は、試合の流れを完全に奪った。「勝つために当たり前のことを徹底したことが生んだプレー。三塁で止まると決めつけず、全力でやった結果」と振り返る。
当時の西武は、勝利に向けた準備や対策が徹底していた。堅実に点を取る野球は「面白くない」とさえ言われたが、「チーム内には信頼関係があり、互いをリスペクトしていた」。
「伝説」と語り継がれる走塁で1点を追加した直後の九回。優勝が目前に迫り、一塁手の清原和博選手が泣いているのが見えたとき、自らタイムをかけてそばへ駆け寄った。
清原選手は当時2年目で、20歳。ドラフト会議で自分を指名しなかった「憧れの巨人」への勝利を前に、感極まって涙をこぼしていた。
試合はまだ終わっていない。優しくなだめれば余計に涙が止まらなくなるかもしれないと、とっさに励ます言葉を探した。「お前、ちゃんとボール見えるのか」「大丈夫です」。泣きながら答える若い仲間の姿に、胸にこみ上げるものがあった。