「鳩レース」に情熱を傾ける人たち…歌手・大森あきらさんの場合
1964年の東京五輪開会式では「平和の象徴」として約8000羽の鳩が青空に放たれ、同時に航空自衛隊ブルーインパルスが5つの輪を描いた。あの光景が今も目に焼き付いている人は多いだろう。ピークの69年には登録されただけで約400万羽の伝書鳩が全国にいたが、今も変わらず鳩レースに情熱を傾ける人たちがいる。 【写真】中国で発見! 7200万年前の恐竜の卵の中から完全な形の胎児が ◇ ◇ ◇ 鳩レースとは、ある場所から鳩を放ち、鳩舎(巣)まで帰ってくるスピードを競うもの。「日本鳩レース協会」と「日本伝書鳩協会」が主催する各種レースが行われている。鳩は帰巣本能に優れ、1000キロ以上も離れた場所から巣に戻ることができる。本場の欧州では4月から9月が鳩レースのシーズンで、日本では主に3月から5月の春シーズンと9月から11月の秋シーズンがある。 鳩レースの何が魅力なのか? 千葉県に鳩舎を構えている歌手の大森あきらさん(75)がこう言う。 「競馬は生産者や調教師、ジョッキーとそれぞれ役割分担がありますが、鳩レースはその全てを育て主が担います。鳩も血統が重視され、遺伝子の勉強をしながら交配を重ねるGM的な役割。素質のある鳩を見いだし、その日の気象条件や距離適性などを考えながらレースに出場する鳩を選ぶ監督の目。訓練によって飛翔能力を高めるコーチの役割もあります。レースに参加する飼い主はさまざまですが、学歴や経歴は一切関係ない。個人と個人の戦いで、それだけに熱が入ります」
当時はクラスの半分くらいが鳩を飼っていた
大森さんは銀行マンを経て起業。経営が落ち着いた40歳過ぎに鳩レースを再開し、68歳で歌手デビューも果たした。鳩レース大会の打ち上げで歌唱を褒められ、歌に興味を持ち始めたという。 「7歳から鳩を飼い始めましたが、当時は鳩を飼うことが大ブーム。クラスの半分くらいが飼っていました。半分と言っても当時の小学校は1クラス50人、全校生徒2000人もいました(笑)。学生時代は陸上競技110メートルハードルの選手で(ベストタイムは14秒9)、1964年の東京五輪の強化選手にも選ばれました。ただ、ケガで競技を断念。私のオリンピック出場はかないませんでしたが、代わりに飼っていた鳩が開会式で出場を果たしてくれました」 鳩は国立競技場から茨城県の自宅まで約100キロを2時間ほどで帰ってきたという。 大森さんは40代で鳩レースを再開するにあたって、本場ベルギーから短距離に強いアルホンス・ベラード鳩舎、長距離のロジャー・フレーカー鳩舎などを選び計60羽ほどの鳩を購入。設備費など諸経費を入れて「家1軒分」の予算を投じたという。 「鳩の遺伝子を研究するにあたっては、英語やフランス語などで書かれた欧米の鳩専門誌を読んで勉強しています。羽の色など特殊な知識が必要で、日本語で『灰』と訳される色も、光があたると青みがかって見えるペルシャンブルーがあり、欧米では『ブルー』と記載されたりします」 鳩レースでは、全ての鳩が確実に巣に帰れるわけではない。道中、コースを外れたり、猛禽類などに襲われたりし、無事に帰れないケースも多い。1000キロレースでは1000羽を放鳩し、戻ってくるのは1割の100羽程度だという。 ■68歳で歌手になったのも誰かを応援したいから 「それだけに、無事に帰ってきた時の喜びはひとしおです。順位は二の次で、『よく帰ってきてくれたな』と……。私が68歳で歌手活動を始めたのも、誰かを応援したい気持ちから。家族はもちろん大反対で、というか、デビュー前々日まで内緒にしていて、打ち明けた際は呆れていました。ただ、電話で報告した姉だけは驚かなかった。母が琴や三味線、日本舞踊など芸事が好きな人で、家の中が昼間から音楽であふれていたからかもしれません。年を取っても好きなことはできます。今は団塊の世代やその上の世代の方々に、懐かしいと思われる歌をうたっていきたいですね」 大森さんのセカンドライフは順調だ。