千葉真一からの直筆出演依頼も公開!山口組で唯一の元女組長が明かす「極道人生30年と大物俳優の絆」
山口組で唯一の女組長――。 そんな肩書で語られる数奇な人生を歩んだ女性がいる。その名は小田切波さん(71)。福岡を拠点とする三代目山口組伊豆一家龍我会の元会長で、ヤクザ全盛だった激動の時代を歩んできた。 【思わず二度見!】「極道人生30年」…元女組長と長年の友人「大物俳優」の貴重な2ショット写真 極道を引退して、約16年。その半生をひも解くべく取材に訪れると、一枚の写真(2枚目)を見せてくれた。映っているのは名優・千葉真一さん(享年82)だ。 「銀座のクラブで飲んでいると、知り合いの社長が千葉さんと一緒に来られて、同席したのが始まりでした。千葉さんとは長年の友人。亡くなる2ヵ月前に電話を頂いたのが最後でしたね」 千葉さんは小田切さんに「映画を作りましょうよ。波さんをモデルにした映画を」と映画制作を打診していたという。話が具体的に動き出したのは’07年。千葉さんは小田切さんに手紙をしたためた。綴られていたのは映画への並々ならぬ情熱だった。 〈″愛と感動″これこそが私の求める映画作りへの根源でありテーマなのです〉 「このお手紙を拝見して制作を承諾したんです。千葉さんは『ヤクザ映画ではなく、母と子の愛の物語を描きたい』と言い、晩年は『波さんの役を演じ切る女優がいないから困った』とも仰(おっしゃ)っていた」 映画のタイトルは『塀の中のおふくろ』。小田切さん自身、2度服役し、「子供が小さくてお母ちゃんがまだ恋しい時に、私は檻(おり)の中にいた。私は子不孝をして生きてきた」と語る。 結論から言うと、この映画が完成することはなかった。コロナ禍で脚本の聞き取り取材が中断。その間に千葉さんは帰らぬ人となったのだ――。
山口組田岡組長への直談判
映画の題材として千葉さんが渇望するほど、小田切さんの半生は強烈だった。ヤクザは暴力で支配する男社会。いかにして女性の小田切さんが、ヤクザの世界へと足を踏み入れたのか。 宮崎県で生まれ育った小田切さんは貧困ゆえ、周りから服装を馬鹿にされて、その度に喧嘩に明け暮れる毎日だった。それでも県内有数の進学校に入学。しかし2年生の途中で、またも服装を巡りトラブルが起きる。「けっして迷惑はかけません」との書き置きを残して、家出同然で宮崎を出た。まだ17歳のことだった。 「もともと歌が好きだったので、本格的なプロ歌手になりたいと思って、ギター片手に西日本を中心にクラブやキャバレーで弾き語りをして生計を立てていたんです。23歳で長男を出産してからもステージに立ち続けた。で、福岡・博多のクラブで歌っていると店長から、『一度うちのオーナーに会っていけ』と言われて挨拶をした。その方が伊豆健児組長でした」 伊豆組長は夜桜銀次事件(*1)などで名を揚げた山口組屈指の武闘派ヤクザだ。小田切さんは当時、24歳のシングルマザー。伊豆組長はその境遇を察したのだろう。「ウチの店で歌わないか」と100万円をポンとその場で支払ったという。のちに本当の父親以上に親父と慕った伊豆組長に、小田切さんはある思いを告げている。 「親分の恩義に報いるため、残りの人生を捧げようと思って盃(さかずき)の申し出をしたんです。でも、『女にできる稼業じゃない。女らしく家庭で幸せをつかめ』と拒否されました。親分は温厚で義理人情に厚い方でしたが、『ヤクザになりたい』と何度懇願しても許してくれませんでした」