千葉真一からの直筆出演依頼も公開!山口組で唯一の元女組長が明かす「極道人生30年と大物俳優の絆」
ナミ姐さんの血風録
以降、小田切さんは伊豆組長の実子である伊豆一家の伊豆誠一総長に面倒を見てもらい、正式に山口組の代紋を掲げるに至った。 盃を受けた瞬間から、自らに課した使命がある。恋人を作らず、独り身で生きていくことだ。自らも子供を産んだ実体験から親心がどんな親分よりもわかる。組員には自分の子供のように接し、龍我会では指詰めを禁じた。 「『(同門のヤクザから)女とヤクザやっとられんわ』なんてよく言われました。だから、何かあれば一番に駆けつけて、うちの子が一番に弾(はじ)く。すると段々と名前も売れてきましたね。私がなんでヤクザができたかというと、若い衆に守られて、神輿(みこし)に担がれたからできたんです」 謙遜するが、自身も常に身体を張ってきた。抗争中に他団体に攫わ(さら)れて福岡の油山で血祭りにあった経験もある。 「髪の毛も切られて、木に逆さ吊りにされて金属バットでドツかれたんです。意識がある10発目ぐらいまでは痛かったけど、その後は麻痺(まひ)して何も感じない。伊豆親分に助けられて、『一人で行動するなと言ったやろ。それでも、よう生きとった』と叱られました。その時は2ヵ月入院しましたね」 渡世で名を轟(とどろ)かす一方、刑務所にも2度収監。10年近くを檻の中で過ごした。そして’06年。55歳になる年に、長い懲役から帰ってきた龍我会組員の出所を見届けると、小田切さんは引退を決意した。 現在の小田切さんは大阪・心斎橋で完全予約制の割烹『味都 小田切』を切り盛りする。飲食店を始めて7年。暖簾(のれん)の向こう側には女将となった小田切さんが穏やかに見つめていた。 ※1 ’62年1月16日、三代目山口組石井組組員・平尾国人(通称:夜桜銀次)が、福岡市内のアパートで射殺された事件。 ※2 特定の団体の傘下に入らず、独立して組を運営している暴力団組織の意味。 ※3 ’78年7月11日、京都のクラブ「ベラミ」を訪れた田岡一雄組長が、敵対する大日本正義団幹部・鳴海清によって狙撃された事件。凶弾は首に命中し、田岡は瀕死の重傷を負った。 『FRIDAY』2023年12月1日号より 取材・文:加藤 慶(フリーライター)
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