<私の恩人>ガダルカナル・タカ たけしさんは唯一の師匠!オレには弟子の人生は背負えない
ビートたけしさん率いる「たけし軍団」の大番頭とも言えるのが、ガダルカナル・タカさん(56)。恩人として挙げたのは、やはり、たけしさんでした。今となっては、軍団で唯一、たけしさんをツッコめる存在ともなっていますが、30年以上前の出会いから今にいたるまで、緊張が緩んだことはないと言います。 「私の恩人」ってテーマなの?それで、オレが話すとなったら、そりゃ、たけしさんの話だと思われるだろうから、本当は意表をついて、誰も知らないオッサンの話でもしたいとこなんだけど(笑)、やっぱりたけしさんの話になるんだよな。残念ながら、オレの中には、たけしさんを上回る恩人がいないからね。 静岡から東京に出てきて、同郷のつまみ枝豆と組んだのがお笑いコンビ「カージナルス」。「お笑いスター誕生」(日本テレビ系)をきっかけに、ちょこちょこ仕事をもらいつつあった時、事務所がつぶれちゃったりして、仕事は月に1本あるかないかになった。 そんなわけで、当時は、事務所のスポンサーをしてくれてた人に新宿の店を提供してもらって、枝豆とカラオケスナックをやってたんだ。正直、もうお笑いを辞めようかな…と思ってた時に、「お笑いスタ誕」を通じて付き合いがあった東(現・東国原英夫衆院議員)が、声を掛けてくれたんだよね。「たけしさんが野球チームを作るんだけど、野球できたよね?」って。 漫才ブームの直前だったけど、たけしさんはすでに人気者で、雲の上の存在。野球ができると言って参加させてもらうのに、「プレーで恩返しができないと申し訳ない」みたいなプレッシャーを、当時は自分たちにかけてたとは思うんだよ。 ただ、いくらプレッシャーがあったと言っても、解せないことがあってね。初めて野球に行った日の記憶がスコンと抜けちゃってるんだよな。正確に言うと、球場に行くまでは覚えてるんだよ。池袋にあった球場で、枝豆と2人でバイクに乗って行って「さあ、頑張んなきゃ!!」って。ところが、たけしさんにあいさつしたあたりから覚えてない。 ヒットを打ったのか、きちんと守ってたのか、さらには試合が勝ったのか負けたのか…。全然覚えてない。自分の中の何かが「ここは人生のポイントだ」と無意識に反応して、普通じゃない精神状態になってたのかも…。