新型マセラティMC20チェロが、フェラーリとは違ったワケとは? 新世代のイタリア製スーパーカーに迫る
名門に新しい風を吹き込む
その最強“ネットゥーノ”を搭載したMC20。バタフライドアの採用はカーボンモノコックだからである。バスタブ型モノコックゆえ、フツウのドアだと乗り降りがしにくい。見栄えもスーパーカーっぽくてよい。ということもある。実際、ドアを跳ね上げて、ちょっと身体を捻るようにして着座すると、う~む。やっぱりドキドキする。エクステリアにもインテリアにも奇妙をてらったところはない。機能的で、スッキリしているところが清々しくて好ましい。着座位置はもちろん地べたに座ったみたいに低い。 スタートボタンを押すと、グオッとひと声吠える。基本的にはおなじ“ネットゥーノ”でも、「グレカーレ」とグラントゥーリズモ用はオイル循環がウェットサンプになり、気筒休止が備わる。パワー&トルクは若干控えめになり、MC20が後輪駆動であるのに対して、日常でより扱いやすいように4WDを採用、トランスミッションもMC20は8DCT、残りの2モデルはZFの8ATと組み合わせている。 でもって、MC20チェロで走り出すや、私は思わず、「わっ」という感嘆の声をあげた。すっごく軽い! 軽い。羽のように軽い、と。 そう、羽のように軽い。それも、鳥の羽とか、チョウチョの羽というよりは、トンボの羽。それはドアのかたちからの連想かもしれない。アクセレレーターを開けた刹那、ばひょーんと加速する。めちゃくちゃレスポンスがよい。車重はカーボンシャシーの採用で公称1560kg! めちゃんこ軽い。たぶん、フライホイールも軽い。それまでに試乗していたグラントゥーリズモ、グレカーレのトロフェオよりも鋭く、素早く回転を上昇させる。 ワイドトレッドのミドシップスーパーカーで、重心は低い。なのに1コーナーを抜け、次の大きなRの右コーナーの2コーナーへと至るところで、ゆるやかにロールする。誤解を招くかもしれないけれど、たとえばロータスとかアルピーヌといった軽量級スポーツカーを思わせる。重心はあくまで低く、車体はきわめて安定している。軽くアクセレレーターを開けただけで、うわぁ。っと身体がシートに押し付けられるのを楽しむ。う~む。めちゃんこよい。 60度ぐらいのタイトな右ベンドの4コーナーは侵入でたっぷり減速する必要がある。そこで、先導車とちょいとばかし差が広がる。そこでアクセレレーターをガバチョと踏み込む。すると“ネットゥーノ“が7000近くまで回転をあげ、バビューンと加速して、瞬く間に追いつく。う~む。めちゃんこよい。 90°V6の奏でるサウンドは独特で、デデデデデッというビートを刻む。排気音は低音が魅力で、心地がよい。けれど、たとえば、フェラーリ「296GTB」の2992cc、120°V6と較べると、V6は120°が理論上完全バランスということで滑らかさとサウンドで、若干違いがある。フェラーリV6のほうが陶酔感たっぷりに朗々と歌いあげるのだ。 “ネットゥーノ”は、いわばおなじオペラの歌い手でも理性に訴えるタイプで、フェラーリみたいに情熱の嵐に巻き込まれて、なにがなんだか翻弄されちゃうことの素晴らしさを楽しむ。というのと違う。情熱的ではあるけれど、どこか醒めた部分がある。冷静な部分が自分のなかに残っていて、自分の振る舞いを観察している。情熱と冷静。そういう微妙なブレンドがMC20をドライブしていると感じる。 ま、先導車に引っ張られてのカルガモ走行だから。ということはあるし、理性だの情熱だの冷静だの、というのはあくまで筆者の個人的な感想に過ぎないことも確かである。 であるとしても、こういうことはいえる。2020年に登場したMC20は、モデナの名門マセラティが、デ・トマゾ以前の時代にさかのぼって過去を振り返り、モデナのライバルであるフェラーリとは違う種類、違う性格のGTカーの方向を考え、そして生み出したものである、と。 燃費や排ガス、環境といった現代の厳しい制約のなかで生まれた“ネットゥーノ”は、マセラティが完全EV化を目指す2030年までの単なるつなぎ役ではなく、創業1914年、110年周年を迎える名門に新しい風を吹き込むためにつくられたのである。 新型グラントゥーリズモの稿でも書いたけれど、私、新生マセラティの、すっかりファンになりました。
文・今尾直樹 写真・マセラティジャパン 編集・稲垣邦康(GQ)