実家全壊・友の死 かみじょうたけし震災から21年の思い
実家全壊・友の死 かみじょうたけし震災から21年の思い THE PAGE大阪
毎年この日が来るたびに思います。しっかり生きていかなアカンと──。人気テレビ番組「アメトーーク!」に高校野球大好き芸人の1人として登場し、全国的にも人気を博している、かみじょうたけし(38)。道頓堀角座などの劇場で、芸人としていつも大勢の観客を明るい芸で楽しませているが、阪神・淡路大震災が発生した、毎年1月17日は「今年も1年しっかり生きていこう」と心に誓う日だという。自分の身近で亡くなった幼なじみの兄妹や、故郷・淡路島のことを思いながら。
2階で寝ていたのに窓の外に地面が
1995年1月17日午前5時46分。当時、淡路島一宮町(現・淡路市)の高校2年生だったかみじょうは自宅2階で家族と就寝中、突然の大きな揺れとごう音に襲われたが「地震の夢か」と思っていた。しかし、3メートルほど離れた場所に置いていた大型の洋服タンスが飛んできて、取っ手の金具が背中にぶつかった瞬間、夢ではないことに気づき、長い時間の揺れに恐怖を感じた。 一緒に住んでいた両親と妹の無事は確認。父が「余震があるかもしれんから、毛布かぶって下に降りるぞ」と言った瞬間、階段の手すりを持とうとしたら感触がいつもと違った。よく見たらそれは、家の前にあるはずの電柱だった。「窓の外を見たら地面で、家の1階がつぶれたことを知りました」 外へ出ると近所の人たち同士が着の身着のままで無事を確認しあったが、祖母の姿がないことに気づいた。そして父は「俺は役場に行かなあかん。ここはお前に任せた。おばあちゃんを探してくれ」と言った。 当時、父親は町議会議員をしており、いろいろと対応しなければいけなかった。「なんでやねん」と思いながらも、かみじょうはガレキをどかせて祖母を発見。祖母の上には仏壇が倒れていたが、わずかなすき間で九死に一生を得た。逆にその仏壇がガレキから祖母を守っていた。「仏壇は祖父のものですけど『守ってくれたんかな』と今やから思います」
忘れられない幼なじみ兄妹の死
かみじょうの家は全壊。しかし周囲の家も同じような状況だ。近所の人がみんな集まり無事を確認。いない人がいれば、すぐに助けに向かった。そんな時、最初に斜め向かいの餅販売店のおばちゃんがいないことに気づき、ガレキの中から「助けてー」という声がした。 「近所中でガレキをかきわけたら、おばちゃんが首だけだして埋もれてたんです。何か所か骨折してたけど、命があっただけでもよかった。それと直後に町の空がオレンジや紫色に光って、暗くなったらヒョウが降ってきたのを覚えています。家がつぶれた怖さもありましたが、いつも落ち着いた近所の人が取り乱していたりしたのをみて、それも恐怖に感じたのを覚えています」 その後「まだ中におる」「早く助けな」という声が聞こえた。自宅から30メートルほどの家、そこは幼なじみの「ふみくん」と「さゆりちゃん」2人が住む家だ。 幼なじみのふみくん(愛称)は、2つ年下の自身の妹と同級生で、ソフトテニス部の後輩。「高校はたけちゃんと同じ学校行ってテニス部の後輩になるわ」と話していたこともあり、震災の前日も道端でも顔を合わせていた。そして妹のさゆりちゃんも小さい頃から知っている間柄だ。 駆けつけると「一刻も早く救出を」という思いで、近所中がガレキをかき出し2人を発見。「もう体が冷たくなってて...救命措置とかもわからないし、救助隊とかを呼べる状況でもない。だから近くに落ちてた毛布とかで体をくるんで、みんなで必死にさすりました。近所のおっちゃんが軽トラックに乗せて運んでくれました」 後に2人の死亡が確認された。「あの状況は忘れられません。ほんまに小さいころからずっと遊んでたんで」。かみじょうは、目を真っ赤にし、言葉を詰まらせながら当時の状況を振り返った。