実家全壊・友の死 かみじょうたけし震災から21年の思い
実家跡地の更地で即席寄席やりたい
今月はじめ、久々に妻と長男を連れて淡路島の実家へ帰省した。全壊した実家跡地は、現在は更地となっている。しかし、あの時、同じように全壊した近所のなじみの喫茶店などは再開していた。
思い出すのは小学生のころ、帰宅して母親がいないと、必ずこの喫茶店に来ており、この店のコーヒーを飲んでいた。自身も同じように顔を出していたから思い出がつまった店だ。そこへ初めて、妻を連れていくと「このコーヒーおいしい」と笑顔を見せた。家族の思い出の味を、こうして妻が味わってくれたことは、すごくうれしかったという。そして、現在は復興住宅に住む両親に孫の顔を見せたら喜んでくれて、うれしい気持ちにもなる。 帰省すると、思い出すことはたくさんある。震災発生直後、近所のスーパーが倒壊しながらも「みなさん持っていってください」と店にあった商品を配布してくれた。そして、みんなで助け合い支え合い、現在もこうした交流ができることが幸せに感じる。 「やっぱりこの町はええもんやなあと。誇れる自慢の故郷なんで」。更地となった自宅跡を見て、ひとつ思ったこともある。「地元になにか恩返ししたくて。この更地に舞台作って、松竹のみんなで寄席でけへんかなぁと。そして、町の人らが笑顔で集まれる機会を作ることがでけへんかなって思います」 自宅を失い、大切な友を失うなど、辛く悲しい震災から21年。しかし、その震災から家族や友の大切さなど、学んだ点も多くある。亡くなった大切な幼なじみへの思いを胸に、あす17日、21年目の祈りの時が訪れる。