大谷翔平「50-50」間近の中で称えたい大記録「35-35を2回」秋山幸二、張本勲は通算「504-319」だが…今季NPB「10-10」は2人だけ、誰?
大谷翔平が挑んでいる昨今の「50-50」の話題を見るにつけ――痛感するのは「記録は発見される」ものだということだ。 【衝撃写真】「大谷さん48号、ボールが破裂しそう…」走塁も打球速度も“速すぎ超人プレー”と「なんでデコピンみたいにビニール袋くわえてんの笑」Number独自撮影〈ショウヘイのLAで愛される日々・最新版〉も見る
「30-30」「40-40」の価値観が高まるまで
30-30=同一シーズンに30本塁打、30盗塁を同時に達成すること、が「すごい記録だ」となったのは、ジャイアンツ、ヤンキース、エンゼルスなどでプレーしたボビー・ボンズが1969年を皮切りに5回も30-30を記録したことがメディアに大きく取り上げられたのがきっかけだ。 野球史をさかのぼると、30-30はそれ以前に、1922年のセントルイス・ブラウンズのケン・ウィリアムズ(39-37)を皮切りに、ジャイアンツのウィリー・メイズが1956年(36-40)、57年(35-38)、1963年のブレーブス、ハンク・アーロン(44-31)と、過去に4例あることが分かった。しかしボンズ以前は注目されていなかった。 ボンズの記録からメジャーリーガーたちは30-30を「パワーとスピード」をともに満たした大記録だと意識し始めたのだ。 その後、「30-30」に挑む選手が続々と現れ、今年の大谷翔平、ガーディアンズのホセ・ラミレスまで延べ71人を数える。さらに「40-40」も1988年のアスレチックス、ホセ・カンセコ(42-40)を皮切りに今年の大谷翔平まで6人が記録。大谷はこうした記録の歴史を背景に前人未到の「50-50」に挑んでいる。 反対に言えば「30-30」の概念がなかった時代にも、この記録をクリアする能力を備えた選手はいたはずだが――この数字が目的になっていなかったから、意識することがなかった。例えば若いころは「俊足」でならしたヤンキースの大選手、ミッキー・マントルなどは「30-30」の価値観が存在したら、何度も達成していたのではないか。
トリプルスリーは12回、でも「35-35」は3回だけ
MLBでは「30-30」達成者を「30-30クラブ」メンバーと表現し、特別扱いしている。 一方でNPBでは今に至るも「30-30」は、大記録とは意識されていない。 ただ30本塁打、30盗塁に「打率3割」を加えた「トリプルスリー」は、1989年、西武の秋山幸二が打率.301、31本、31盗塁を記録して以来注目された。 さらに2015年にソフトバンクの柳田悠岐(率.363、34本、32盗)、ヤクルトの山田哲人(率.329、38本、34盗)を記録した年には「トリプルスリー」が流行語大賞に選ばれるなど、すっかり大記録扱いになった。なおトリプルスリーは山田哲人が計3回記録したのをはじめ10人が12回記録している。 しかしMLBの「30-30」と同様に、秋山幸二より前の達成者である1950年、松竹の岩本義行、同年の毎日・別当薫、1953年の西鉄・中西太、1983年の阪急・簑田浩二は、ほとんど注目されることはなかった。 「30-30」はトリプルスリーよりも打率の条件がない分、クリアは容易だ。昨年まで12人が延べ18回記録している。 しかし「40-40」は、NPBでは達成者がいない。「35-35」は3例ある。 1987年 秋山幸二(西武)43本38盗(率.262) 1990年 秋山幸二(西武)35本51盗(率.256) 1953年 中西太(西鉄)36本36盗(率.314)