松本死刑囚ら7人の死刑執行 上川法相が会見(全文1)7名の死刑を執行
殺人、殺人未遂等、化学兵器・サリンやVX製造で無差別テロは組織的、計画的犯行
判決などでも指摘されているところですが、これらの犯行は松本がオウム真理教を設立して、その勢力を拡大し、さらには救済の名の下に日本を支配して、自らその王となることまでをも空想して小銃の製造、サリン、VXの製造といった武装化を進め、その中でその妨げとなると見なしたものは教団の内外を問わず、これを敵対視し、その悪業をこれ以上、積ませないようにポアする、すなわち殺害するという身勝手な教義の解釈の下に、その命を奪ってまでも排斥しようとして殺人、殺人未遂等に及び、一部の者に対しては教団で製造した化学兵器であるサリンやVXを用いるまでし、さらにサリンを用いて二度にわたり不特定多数の者に対する無差別テロにまで及んだものでした。 これらの長期間にわたる一連の犯行は組織的、計画的に敢行されたものであるとともに、過去に例を見ない、そして今後、二度と起きてはならない極めて凶悪・重大なものであり、わが国のみならず諸外国の人々をも極度の恐怖に陥れ、社会を震撼させたものでした。特にこれらの犯行にサリン、VXといった化学兵器までもが用いられたこと、また一般市民を対象とした無差別テロが行われたことは世界にも衝撃を与えました。 松本は長期間にわたって多数の犯罪を繰り返し、ついには無差別大量殺人に至るまで、止めどなく暴走を続け、多数の配下の者を統制して組織的、計画的に犯行に及んだものであり、また、宗教団体の装いを隠れみのとして、宗教の解釈を都合のいいようにねじ曲げ、短絡化させて犯行を正当化しつつ、犯行を凶悪化させていきました。
松本の指示を受け、他6人がさまざまな事件で重要な役割を担う
また、先ほどの資料にもありますが、早川、井上、新実、土谷、中川、遠藤についてもそれぞれ、松本の指示を受けるなどして、さまざまな事件で重要な役割を果たしました。 早川については昭和62年に教団に出家して、教団の幹部として全国各地の支部開設などに従事するなどしていたところ、脱会の意思を表明していた信者の殺害行為に及び、弁護士一家殺害事件でも、一家の殺害行為に及んだほか、不特定多数の者を殺害するためのサリンプラントを稼働させて、サリンの生成を企てるなどしました。 井上については高校を卒業して間もなくの昭和63年に教団に出家して、教団の幹部として諜報活動等を担当していたところ、VXを使用した殺害事件などにも関与したほか、地下鉄サリン事件では総合調整ともいうべき重要な役割を果たすなどしました。 新実については昭和61年に教団に出家し、教団の幹部として教団の警備関係等の責任者として活動していたところ、脱会の意思を表明していた信者の殺害行為に及び、弁護士一家殺害事件でも一家の殺害行為に及んだほか、松本サリン事件、VXを使用した殺害事件、地下鉄サリン事件などにも関与しました。 土谷については平成3年に教団に出家し、化学合成の実験等に従事するようになり、化学兵器であるサリン、VX等の製造に成功するなどし、その後VXを使用した殺害事件や地下鉄サリン事件などに用いられたVXやサリンを生成するなどしました。 中川については平成元年に教団に出家し、松本の主治医的な役割を務めるなどしていたところ、弁護士一家殺害事件では一家の殺害行為に及んだほか、松本サリン事件、VXを使用した殺害事件、地下鉄サリン事件などにも関与しました。 遠藤については昭和63年に教団に出家し、炭疽菌の培養等や薬物の製造等にも携わっていたところ、松本サリン事件などに関与したほか、地下鉄サリン事件に用いられたサリンを生成するなどしました。 これらの一連の犯行では27名もの方の尊い命が奪われ、また一命はとりとめたものの、多くの方々が障害を負わされ、中には重篤な障害を負われた方々もおられました。一連の犯行によって命を奪われた被害者の方々、そのご遺族、また一名はとりとめたものの障害を負わされた被害者の方々、そのご家族が受けられました恐怖、苦しみ、悲しみは想像を絶するものがあります。そしていずれの者についても裁判所における十分な審理を経た上で、最終的に死刑が確定したものです。本日の死刑執行につきましては以上のような事実を踏まえ、慎重にも慎重な検討を重ねた上で執行を命令した次第であります。 先ほど、冒頭のさまざまな事件の紹介の3の事実につきまして、平成元年と申し上げましたけれども、正しくは平成5年11月ごろから平成6年12月下旬ごろまでの間ということでございますので、訂正しておわびを申し上げます。 男性:少し、マイクのほうを整理させていただきたいと思います。 【連載】オウム事件7人の死刑執行 上川法相が会見 全文2へ続く