ダンプ松本「ああ、本当に嫌われているんだな」と実感した身の毛もよだつ戦慄のプレゼント
本当に嫌われているんだな”と実感した驚愕の贈り物
会社からは止められたが、ダンプは『極悪同盟』結成時、ヒールの決意として、髪を金髪に染め上げた。暴走族のリーダーと付き合っていた妹の部屋から、不良ファッションの一部を“拝借”して入場用のコスチュームにした。 そして、とことん人に憎まれようと、ありとあらゆる凶器で、ライバルの長与千種らを夜な夜な血だるまにした。 「あの頃、“殺してもいいなら殺したい人”という雑誌のアンケートで私、1位になったの。日本で一番殺したいと思われたんだから、悪役冥利に尽きるよね。憎まれようとして悪いことをしてたから、ブーイングされても、“帰れ!”と言われても苦じゃなかった。 事務所に“死ね!”と書かれたカミソリ入りの手紙が山ほど届いたけど、もう慣れっこ。ただ、“あぁ、本当に嫌われているんだな”と実感したのは、大量のゴキブリがデコレートされたケーキが送られてきたとき。 私に嫌がらせするため、わざわざ何十匹もゴキブリを捕まえて、ケーキまで作ったってことでしょ? 本当に恨んでいないとできないわけで、“どうだ見たか、ざまあみろ”と思った。さすがに気持ち悪くてギブアップ寸前だったけど(笑)」
最高月収800万円!年収は6000万超えも!
浴びせられる罵声に比例し、ギャラもぐんぐん上がっていった。芸能関係の仕事も急増し、最高月収は800万円。当時の全女は給料を現ナマで直渡ししていた。給料袋は机の上に立ち、年収は6000万を超えた。 85年当時、プロ野球における日本人選手の最高年俸が山本浩二(広島)の8500万円だったことを考えれば、そのすごさが分かるはずだ。 「せめてもの恩返しがしたくて、母親にやっと仕送りを始められた。新築の家の頭金をプレゼントしたりもしたから、少しは親孝行できたかな。まあ、ダンプの家とバレると卵を投げつけられるから、引退まで表立っては帰れなかったけどね。 ギャラは確かに上がった。試合給だけでなく、タイトルマッチ給なんかも加算されるしさ。あと、テレビとか芸能の仕事はクラッシュより私のほうが圧倒的に多かったし、大手企業のCMにも出ていたから」 ただ、ギャラが急上昇するにつれ、ダンプの中で会社に対する不信感も増大していった。 「日清の『タコヤキラーメン』のCMに出演したときのギャラが300万円。会社からは“600万もらったから、半分もらうぞ”って言われたんだけど、本当に600万円だったかは不明。本当はもっともらってて、会社ががっつりピンハネしたんじゃないかって疑っている(笑)。だって信用できないんだよ、あの会社は。そもそも『タコヤキラーメン』だって、素顔をさらすなんて、現場に入るまで聞いてなかったし。 あとさ、一度、住んでいた部屋がバレて、泥棒に入られたことがあったの。壁に並べて貼っていた大入り袋を全部、持っていかれたのね。全部で78万円。 結局、犯人は捕まってお金は警察から会社に戻ってきたけど、私の手元にきたのは39万円だけ。その理由が “お前は泥棒に入られて会社に迷惑をかけたから、半分は迷惑料としてもらっておいた”だよ! 信じられないでしょ、こんな会社」 ダンプ松本(だんぷ・まつもと) 本名・松本香。1960年11月11日、埼玉県出身。ビューティ・ペアのジャッキー佐藤に憧れ、全日本女子プロレスに入門。80年、デビュー。84年、リングネームをダンプ松本に変更し、『極悪同盟』を結成すると、クラッシュ・ギャルズのライバルとして一世を風靡する。88年、引退。2003年以降、プロレスラーとして本格的に復帰し、女子プロレス再興に尽力している。 THE CHANGE編集部
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