なぜ中世の日本人は「犯罪者の家を焼いた」のか…? 当時の人々の「犯罪に対する”意外な感覚”」
家を焼いてしまう
日本の中世とはどのような時代だったのか。現代の社会のありようを考えるうえで、中世という時代を鏡としてみることは、なにかしらの意味があるかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ところで、現代とは大きく時間的なへだたりのあるこの時代を知るうえで非常に役に立つのが、『中世の罪と罰』という書籍です。 中世史の研究者たちも本書が重要であると声をそろえます。たとえば中世史の研究者・清水克行氏は本書を、 〈日本中世史の魅力を一般読書界に広めることに大きな貢献を果たした網野善彦氏を筆頭に、石井進氏、笠松宏至氏、勝俣鎭夫氏という、中世史研究の黄金時代を築いたレジェンド4人が計10本の「中世の罪と罰」をめぐる文章を寄せた本書は、間違いなく戦後の日本史学が生んだ名著の一つである〉 と、「名著」であると評しています。 本書は、中世の「刑罰」に注目することによって、日本の中世社会がどのようなものであったかを鮮やかに描き出す作品。たしかに、パラパラとページをめくるだけで、当時を生きた人々の感覚について、多数の発見があります。 たとえば、「家を焼く」という魅力的なタイトルがつけられた、勝俣鎭夫氏による論考に注目してみましょう。 本論考は、中世の荘園領主たちが、領民に刑罰を科す場合、荘内からの「追放」と、その住宅の「検封(=編集部注:差し押さえて封印すること)・破却・焼却」という手段をとることが多かったことに着目します。 いったいなぜ「追放」と「検封・破却・焼却」(著者はこれらをまとめて「住宅検断」と言います)を刑罰として科すのか。勝俣氏は、とりわけ「住宅検断」に重点を置いて考察を重ねます。 勝俣氏は、住宅検断の本来のかたちが、検封や破却ではなく「焼却」であること、犯罪者が短い期間を過ごしていた建物にも住宅検断がおこなわれていたことなどを引き合いに出しながら、住宅検断というのが、犯罪を「穢」とみなす感覚と関係していることを論証していきます。本書より引用します(読みやすさのため、改行を編集しています)。 〈荘園領主が殺害のような重罪と、虚言のような軽罪をほとんど区別することなく、同じく犯人の家の住宅検断を行っていることは、この「犯罪=穢」観念にもとづくものであり、住宅検断の本来的形態が、犯人の家を焼くことにあったことがそれを証明していると思われる。犯罪の根元である犯人の家を焼いてしまうことにより穢を領内より除去することがその目的であったのである〉 〈中世の封建領主であった貴族の社会において、触穢の忌避の意識が、彼らの日常生活を律する大きな要素として存在していたことは、すでに横井清氏が明らかにしているところである〉 〈さて以上みてきたように、荘園領主が領内における領民のもろもろの犯罪をすべて穢の発生ととらえて、その除去を目的に犯人の家を焼く処置がとられたとするならば、犯人の住宅検断とペアになっている犯人の領内からの追放もまた同じ目的で行われたということができる。 この犯罪観にもとづけば、犯人の追放こそが最もふさわしい処置であったのである。犯人の禁獄は、けがれた身体を荘内にとめおくことになるし、死刑は、新しい穢を荘内に発生させることになるからである〉 そして、つぎのようにまとめます。 〈以上みてきたように、日本中世の荘園領主は、その領内において発生した犯罪を穢の発生と把握し、領主の義務として、犯人の領内からの追放、犯人の住宅の焼却という手段で、領内の災気の除去、正常な状態への回復につとめたのであった。ここでは、犯人に対する「刑罰」の意識は極めて希薄であったといえる。 この犯罪観にもとづく回復の処置は、おそらく、古代における罪と穢と禍を同一視する観念、またスサノオノミコトの追放にみられる穢と禍の除去の手段からみて、古代にその淵源をもつ観念・処置であったといえる。この荘園世界では、律令国家の整然とした刑罰体系にもとづく刑罰のありかたは、ほとんどその影響がみられず、この観念は、律令国家の体制をくぐりぬけ、変化しつつもここに生きつづけていたのである。 また、この世界では古代と同じく、人の犯した罪そのものより、人の犯した罪の災気が問題であったということができる。 阿部謹也氏は、十三世紀のゲルマン諸世界では、「行為者(犯人)個人は何ら問題ではなく、個人の事情も顧慮されない。生じた結果だけが問題なのである。ひとつの秩序が乱されたことが問題なのであるから、その秩序をできるだけ早く元にもどさねばならない。これがアハターのいう「違法行為の結果」Unrechtsfolgeであって、これはまだ刑罰とはいえない」とのべられている(『刑吏の社会史』)。 安易な比較はつつしまなければならないが、少くともこの荘園世界の「刑罰」について考えるとき大いに参考となるといえる〉 現代とは大きく異なりつつも、しかし、どこか影響を残していそうな、犯罪や刑罰についての感覚。現在の「犯罪」について考えるうえでも参考になるかもしれません。 * さらに【つづき】「なぜ中世の日本人は「犯罪者の家を焼き払った」のか」の記事では、中世史家の清水克行氏が、本書の魅力について解説しています。
学術文庫&選書メチエ編集部