渡邉恒雄さんが週刊朝日元編集長に語っていた「スクープの秘訣」から「女性遍歴」まで
読売新聞グループ本社の代表取締役で主筆の渡邉恒雄さんが、12月19日、肺炎で死去した。98歳だった。メディアのみならず、政界、野球界でも多大な影響を与えた渡邉さんだが、雑誌好きな一面もあり、「週刊朝日」にも何度か登場している。「週刊朝日」2006年1月6日号では、山口一臣編集長(当時)のインタビューに答えていた。渡邉さんが自らの人生を振り返った『わが人生記』(中公新書ラクレ)を出版したタイミングだったが、人生記では書かれなかった女性遍歴、スクープの秘訣、読書術、戦争責任論などを赤裸々に語っていた。当時の記事を再編集して掲載する。(※肩書や年齢等は2006年1月6日時点のもの) 【写真】ナベツネが「政策より下ネタ好き」と語った元首相はこちら * * * 山口 のっけからお願いごとで恐縮です。渡邉さんは「ナベツネ」呼ばわりされるのがお嫌いだそうですが、週刊誌としては見出しにナベツネと書かないとどうにもかっこがつかないんです。以前、NHK元会長の島桂次さんの連載をしていたときも、週刊朝日だけ特別に「シマゲジ」呼ばわりしていいと……。 渡邉 ワッハッハ。僕は若いころは「ワタツネ」だったんだよ。それがいつの間にか「ワタ」が「ナベ」になった。社会部の連中が言いだして広まった。ゲジゲジよりましだから、そんなことかまわんよ。 山口 ありがとうございます。そのゲジとツネ、それに朝日の三浦ジャガイモ(甲子二)さんが永田町の三羽ガラスだったとか。 渡邉 三浦は単にジャガだよ、ジャガ。ゲジは大平正芳(元首相)に可愛がられてね。悪友だった。でも、二人とも死んでしまったんだよなぁ……。 山口 その駆け出しのころ、32歳でお書きになった処女作の『派閥』が週刊朝日の書評欄に取り上げられているんですよね。 渡邉 (大切に保存している週刊朝日1958年10月19日号を見せながら)この週刊朝日の書評に取り上げられたときはびっくりしたな。あのころ、週刊朝日は100万部ぐらい出ていたんだろう。僕の本もよく売れた。この書評のおかげで、読売のトップになれたようなもんだ。(笑い) 山口 私が驚いたのは書評に付いていたこの顔写真です。あまりにハンサムなので、さぞやおモテになっただろうと思ったら、最近出版された『わが人生記』には大学卒業まで童貞だったと。本当ですか? 渡邉 不潔だという変な先入観があったんだな。みんな信用しないけれど、24歳まで童貞だったというのは本当だ。今だから話すけど、相手も経験がなかったので、勝手がわからず、大変だったよ。(笑い)