平安時代のインフルエンサー!? 寅さんも参拝した小野照崎神社にてランパンプスが合格祈願!
小野:そう言われています。立証しろと言われても難しいんですが(笑)。
寺内:852年前からだとしたら「小野」も広くなってますもんね。 小野:代々、小野照崎神社は小野家でお守りをしております。 小林:プレッシャーえぐいっすね!
小野:お役目なので。 小林:小野照崎神社にはどんな御利益があるんですか? 小野:学問、芸能、仕事の神様ということで広く崇敬をいただいております。中でも芸能という御神徳の神様は珍しいかもしれません。平安の初期に小野篁公の和歌が百人一首に選ばれているんですが、百人一首の和歌は、平安の前の時代か、平安中期以降の方が残したものが多く、平安初期では殆ど選ばれてないんです。というのも平安初期は和歌の時代じゃなくて漢詩の時代だったんですよ。 寺内:ブームがあったんですね。 小野:その頃は先進的な唐の文化、つまり中国の文化をどうやって取り入れるかの時代でした。仏教や法律など、諸々を唐から輸入して自分たちのものにしようという時代だったので、歌も漢詩で歌われていたんです。今ですと宮中の歌会始(うたかいはじめ)というと、和歌を読まれるんですが、平安初期は漢詩だったんです。
小林:知らなった。 小野:そんな中で和歌を詠まれて百人一首に撰されたということもありますし、漢詩は「白楽天」という、偉大な方がいるんですけど、その方と比類すると言われていました。本当に若くして逸話がすごく多い方で……どの話からしましょうか(笑)。 寺内:逸話が多すぎて定食屋で何食べるかくらい悩んでましたね(笑)。 小林:とりあえず唐揚げで(笑)。 寺内:やっぱり頭がいい、仕事ができるっていう逸話なんですか? 小野:そうですね。漢詩を書くというのは仕事に直結しているのですが、漢文を「麗しく美しく書く」という能力が高かったと言われています。 寺内:それが仕事なんですね。 小野:勅撰国史に「文章は天下無双」と残されています。国家プロジェクトで法律の解説書を編纂されたんですが、法律自体が出来たばかりで、律令制度がある程度、固まってきた頃でした。「法律をどう解釈するか」によって判決や刑期が変わったりしていたので「中国ではこう書かれていて、こういう文脈の法律なので、日本ではこうしましょう」といったふうに解釈や取り決めを解説して書物として編纂した一人なんです。法律も漢文もできないと編纂できませんし、更に文章も優れていたのでその本の序文を書かれたんです。その文章がとても美しかったと言われています。