日本の近代住宅の“原型”を築いたモダニズムの傑作。土浦亀城邸が一般公開〈前編〉
敷地斜面の形状に沿うように工夫された段差の間取りであるが、階段をまっすぐ掛けるのではなく、方向を変えて掛けていくデザインにはフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルからの影響がみられる。土浦は磯崎新との対談の中で次のように語っていた。 「旧帝国ホテルで一番おもしろいのは、やっぱり階段なんですよ。レベルがほうぼう違って、半分上がったらこちらの階で、また半分上がったらあっちの方へ行くというのがおもしろく、また複雑な感じを与えたんです。あれには感心しました」
そんな土浦邸は、建築家の故・槇文彦にも印象を残した。1928年生まれの槇は、幼い頃、土浦邸が完成してほどなく連れて行ってもらい、将来建築家になることを考えるようになったと振り返っていて、その時の記憶を、東西アスファルト事業協同組合の講演会で次のように語っている。 「自邸が完成したときに連れていってもらったことをよく覚えています。何を覚えていたかといいますと、当時吹抜けがあって、中二階があるという空間は非常に珍しかったのです」 土浦邸での体験は、建築家として槇の記憶にインプットされていたのだろう。槙が設計事務所を立ち上げて最初に設計した「代官山集合住居」について、「段差のある空間で、土浦邸や同じく幼い頃に見た客船のデッキが原風景としてあり、それがひとりの建築家の実際の空間構成の中に出てきたのでしょう」と述懐していた。
建築学生であれば興味を示すことも理解できるが、建築という概念を意識していないであろう7歳の槇に強い印象を残したことは、土浦邸が当時どれほど新鮮で、それでいて人が住む住空間として魅力的だったかの証左といえる。便利で楽しく暮らすための工夫が随所に見られ、それは今の日本の住宅のスタンダードになっているものが多い。 土浦亀城 Tsuchiura Kameki つちうら・かめき/1897~1996 水戸生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、妻の信子とともに渡米。フランク・ロイド・ライトに学び、帰国後、ライトとモダニズムの折衷的デザインを経て、純粋なモダニズムに到達する。平屋の初代土浦邸の後、現土浦邸をつくり、日本における“白い箱に大ガラス”のモダニズム住宅を確立する。 土浦亀城邸 復原・移築設計 建築:安田アトリエ 歴史考証:東工大山﨑鯛介研究室 居住技術研究所、 東工大安田幸一研究室(長沼徹他) 【⼀般公開概要】 ⼀般公開:⽉に2⽇・⽔曜、⼟曜を予定 1⽇2~3回のガイドツアーを実施予定 定員: 15名/回 観覧料:1,500円/⼈ 予約開始⽇:2024 年9⽉2⽇(⽉)午前10時 BY KANAE HASEGAWA