【UFC】「ドン・フライvs.高山善廣戦が好きだ」──父親の虐待と柔術との出会いを経て、UFCと契約・3連勝中のジョー・パイファー=2.10(日)メイン出場
2024年2月10日(日本時間11日)米国ラスベガスのUFC APEXにて『UFC Fight Night: Hermansson vs. Pyfer』(U-NEXT配信朝6時~)が行われる。 【写真】計量前、身体が研ぎ澄まされていたか、上半身裸でインタビューを受けたパイファー メインイベントは、ミドル級の5分5Rで、UFC3連勝中のジョー・パイファー(米国・27歳)が、同級11位でヨアキム・ハンセンの弟子のジャック・ハーマンソン(ノルウェー・35歳)と対戦する。 パイファーは、2度のコンテンダーシリーズを経て、UFCとの契約を決めた試合では、ダナ・ホワイト代表に「UFCと契約したかったら、ジョー・パイファーのように戦え」と言わしめたほど、フィニッシュへの意識が高いファイター。 ドキュメンタリー映画『Journey to the UFC』で紹介されている通り、幼少時から父親の虐待を受けて捨てられ、公園のベンチで寝泊まりしていたこともあるなか、柔術やレスリングとの出会いをきっかけに、MMAの世界の扉を開いた。 ドン・フライvs.高山善廣戦が好きだ、というパイファーにタフな少年時代の格闘技との出会い、それが今回のオクタゴンでのメインイベントでの戦いにどう繋がったのか、聞いた。 ◆父がナイフを出してきたところで外に飛び出して── ──日本の『ゴング格闘技』です。UFC3連勝中のパイファー選手ですが、幼い頃に格闘技を始めたとプロフィールにありました。最初にどんな格闘技を? 「俺が子供の頃、親父が柔術を学んでいて。俺が当時4歳半くらいの時に親父が柔術のジムに行き始め、俺にも教えるようになっていった。だから最初の出会いは俺が4歳半の時、親父が引き合わせた。それから5歳くらいからは柔術トーナメントに出場したりし始めたんだ」 ──柔術との出会いはお父さんがきっかけだったのですね。ドキュメンタリー『Journey to the UFC』で、お父様との確執があったことを知りました。 (※パイファーは父親から虐待を受けて捨てられ、公園のベンチで寝泊まりしていたことがある。「父は虐待的で全てを言いなりにしないと気が済まなかった。両親が離婚後、父親に引き取られるが、虐待された父と最後にお互い殺し合うくらいまでやりあって、父がナイフを出してきたところで外に飛び出して、ベンチに行って過ごした。最後に家を出たが、父を捨てた事に対する判断は間違っていないと信じたい」) そんな中で、結果的にいまのMMAに繋がる柔術に、あなたのお父さんが引き合わせた事をどう感じていますか。 「そうだな……一番いい言い方は『親父は俺にツール(道具)を与えてくれた』という事。それだけかな。道具を与えてもらい、その後は自分でその道具を使って家を建てる基盤を作り家を建てた。それは俺がやった事だ。親父がそう願って柔術を教えた訳ではないと思う。彼は常にその反対を求めたから。俺が生きる力を付ける事を常に反対していたし、望んでいなかったからな。 ただ、そんな思いとは関係なく──これは唯一の親父への“借り”なのかもしれない。この競技と出会わせてくれ、自分の道具を使い、家を建て、今ここで生きていけていけるように道具を与えてくれた事が、ただ唯一感謝できる事かもしれない」 ──ジムに通うには、お金がかかったのでは? 柔術なら道衣を買ったり……その頃、お父さんは月謝なりを出してくれていたのでしょうか。 「親父はジムの費用とか一切払わなかった。貧乏な家庭だったからか招き入れてもらう事が多かった。というよりも、もし親父がジムの費用を払う必要があったら、ジムに通う事はできなかったと思う。 まだMMAもあまり有名でなくて、柔術も人気がなかった頃、色んな人が集まって皆で柔術を練習してたんだ。そんなヤツらがその後ジムを開く事になって、当時『ファイトファクトリー』って言って、エディ・アルバレスらもそこにいたんだ」 ──あなたはあのフィラデルフィアのスティーブン・ヘイグが起ち上げたファイトファクトリーにいたのですね。当時アルバレスもセメント職人として働きながら、プロになったと聞いています。 「そうさ。その後、エディはUFCとBellatorでチャンプになり、日本でも戦っていたよね。他にも色んなヤツがいたんだ。だから俺はジムにお金を払わないでいい環境のまま13歳くらいになって、リック・ミグリアリース(ヘウソン・グレイシーの黒帯)がオーナーのバランススタジオにも行ったが、そこでもジム費用を請求された事はなかった。道衣も貸してくれた。きっと皆……俺が貧乏な家庭な事を知っていたんだろう」 ──タフな少年時代があり、その中でも格闘技のジムの仲間があなたをサポートしてくれたんですね。 「高校のレスリングチームもそうだった。父親と離れる前から入っていたがとても助けられた。ウィル・ハーマンというアシスタントコーチにとても世話になって救われた。俺を信じてくれたこと、チャンスを与えてくれたこと。4年半、卒業してフルタイムで働くまで世話してくれて、食べ物や服やクリスマスプレゼントまでくれた。彼に出会えたことにも感謝している──こんな話で同情されたい訳ではないが、これが自分だ。こういった話をするのは嫌なんだけど、いつかこの話を聞いた、同じように辛い状況にある子供の救いになればいいと思っている」 ──周囲に恵まれたこともあるでしょうけど、そういう環境でハードワークしたことが周囲をそうさせたのでしょう。そのことはきっと誰かの希望になると思います。 「ありがとう」