子殺しを生き延び、深い傷跡を顔や脇腹に残し、流血の事態になるのが普通で、暴力は決して絶えることがない…全盛期はわずか2年という「雄ライオン」の過酷すぎる現実とは?
生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかる…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。 ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。 ● たてがみは何のためにあるのか ライオンの「プライド(群れ)」は、大人の雌のグループとその子どもたち、そして優位の雄たちから構成される。 合計で一〇頭あまりの個体から成ることが多い。子ライオンの中でも雌は、成長して大人になってもおそらく同じプライドの中に留まれる可能性が高いが、雄の子ライオンが直面する未来は雌とはまったく違っている。 雄の子ライオンが二歳くらいになり、成熟すると、群れを去ることになる―あるいは群れから追放される。 成熟の印となるのは、たてがみだ。たてがみが生え始めると、それがきっかけとなってプライドから追放されることも多い。追放された雄たち―皆、同い年で、兄弟や従兄弟どうしの個体が多い―は、新しい、未知の世界に直面するのだが、そこで団結して互いに助け合うことになる。追放される雄は、わずか二頭のペアのこともあれば、七頭くらいのグループの場合もある。 いずれにしろ、少なくともその後の数年間、時には生涯にわたって、雄たちは互いに完全に依存し合って生きることになる。 時が経つにつれ、雄たちのたてがみは生え揃い、立派になっていく。旧約聖書のサムソンのようなたてがみは、雄ライオンの強さの象徴である。 長い間、このたてがみは、生涯の中で何度も経験するであろう戦いで首や肩を怪我から守るのに役立つと考えられていた。だが、その考えが正しいことを示す証拠はほとんど見つかっていない。どうやらたてがみは、他のライオンへの信号となっているらしい。色が濃く、光沢のあるたてがみは、その持ち主が強く、活力にあふれていることを意味する。 他の雄たちに対しては「自分は敵に回すと危険な存在だ」と知らせ、雌たちに対しては「自分は交尾の相手として魅力的な存在だ」と知らせるのだ。 ● 厳しい放浪生活 「独身」の若い雄たちは集団で絶えず移動しながら生きる。時が経つと、この雄たちは、行く先々で定住している雄たちを追放できるだけの能力と強さを身につけるようになる。定住している雄たちよりも優位に立つことができるのだ。 放浪生活は常に命がけであり、強くなくてはそもそも生き延びることができない。また、重要なのは「タイミング」である。定住している雄との対峙が早すぎれば、放浪する雄たちは若すぎて、相手を追い出すだけの力を持っていない可能性がある。 だが、遅すぎれば、年老いてしまい、新しい世代に負けてしまう恐れがある。放浪する雄は常に近くのプライドの様子を探っている。 そして時間をかけて自分たちが勝てる見込みがあるかを推測する。決して負けるわけにはいかない。そのため、どのプライドを標的にするか、その選択は生涯で最も重要と言ってもいい。 適切なプライドを選択すれば、自分の血統を繋げる可能性が高まる。だが、相手の力を過小評価し、選択を誤ると、命まで失いかねない。 ● 侵入者との戦い いずれかのプライドの縄張りの中へ侵入する際、放浪する雄たちはしっかりと隊列を組み、互いに離れないようにする。若い活力にあふれ、強い決意で行動してはいるが、用心は怠らない。 放浪雄の侵入に刺激され、プライドの中の定住雄たちも行動を開始する。侵入者の存在を察知すると、定住雄たちはまず、大きな恐ろしい吠え声をあげる。 この吠え声は侵入者に対する「侵入は絶対に許さない。プライドは自分たちが絶対に守る」というメッセージだ。 この時が撤退のラスト・チャンスとなる。撤退しなければ、ほぼ間違いなく、事態はどちらかが死ぬかもしれない戦いへと発展する。戦いが始まる時には、両者は大地を揺るがすような大音量の吠え声をあげる。雄たちは皆、尻を持ち上げ、互いに強力な打撃を与える。爪による攻撃で深い傷を負い、血を流す者もいる。 どちらも一歩も引かない姿勢で臨んでいるため、必然的に戦いは非常に激しくなり、身体がまともに機能しなくなるほどの重傷を負う者も多い。もし、放浪雄が有利になり、定住雄の勝利が難しくなると、定住雄は新たな問題に直面する。それは、どうすれば命を守って逃げることができるかという問題だ。 戦いで優位に立った側は、不利になった相手を徹底的に叩きのめそうとするからだ。定住雄は敗れれば、できるだけ速くその場から立ち去らねばならない。さもなければ、殺されることになるだろう。生きて逃げ延びることができれば、また態勢を立て直して再び戦いを挑むこともできる。 大人の雄ライオンの中には、過去の戦いの印である深い傷跡を顔や脇腹に残している者も多い。勝つと負けるとでは大違いなため、雄どうしの戦いは流血の事態になるのが普通である。暴力は決して絶えることなくいつまでも続くのだ。雄ライオンの全盛期はわずか二年か三年だと考えられる。 自分のプライドを持てるとしたらその間だというわけだ。人間のボクシングの世界にも似ている。ヘビー級のチャンピオンが王座を防衛できるのは平均すると二年半くらいの間だ。 身体的に最も優れた能力を発揮できるのはほんの短い間でしかないのである。雄のライオンにとって、勝利の重要性は人間のボクサーの比ではない。 勝利してプライドを支配しない限り子孫を残せないからだ。 ● 子殺しの理由 親元を離れたその瞬間から、タイムリミットへのカウントダウンが始まる。雌ライオンは、他の哺乳類と同じように、子どものために乳が出ている間は排卵しない。 だが、雄ライオンには時間がないので、自然に再び排卵が始まるのを待っていられないこともある。そのため、人間の目には恐ろしいことに見えるが、雄ライオンが雌ライオンの育てている子どもを殺してしまうこともあるのだ。 子殺しをするからといって、即、ライオンは冷酷な動物だということにはならない。ただ、雄ライオンはそれだけ過酷な現実の中に生きているということだ。 もちろん、雌は必死に我が子を守ろうとするが、雄の方が身体が大きいため、守るのにも限界がある。ある程度以上、大きくなっている子どもであれば、その場から逃げ出して殺されずに済むこともあるが、まだ乳を飲んでいるくらいの子どもが助かる見込みはまずない。 雌が、我が子を殺したまさにその雄とつがいになるなど、人間にはとんでもないことに思えるが、それがライオンの社会の現実なのだ。子を失った雌はすぐに発情する。すぐに次世代を産み出す準備に入るのだ。 子殺しをした新たな定住雄が長くプライドを保持できれば、生まれた子が大人になるまで育つ可能性が高まる。ただし、プライドが安定していたとしても、子ライオンが絶対に安全かというとそうではない。ハイエナやヒョウなどの肉食獣たちは、隙さえあれば子ライオンを殺そうと狙っている。 母ライオンの大事な役割は、子どもを頻繁に移動させることだ。同じねぐらを使い続けず、次々にねぐらを変えていかねばならない。母親は、必ず子の首筋をくわえ、持ち上げて移動させる。地面ににおいの跡を残さないためだ。 においの跡があると、肉食獣に追跡されてしまう。「百獣の王」と呼ばれるライオンだが、生まれた子どものうち大人になれるのは五頭に一頭しかいない。 (本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)
アシュリー・ウォード/夏目大
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