先人たちの努力振り返る 泉氏(奄美市出身)が講演 武蔵野奄美フォーラム
奄美にゆかりがあり、各界で活躍する人物から話を聞いて地域づくりなどについて考える「武蔵野奄美フォーラム」(田畑千秋会長)の第42回が4日、東京都武蔵野市の武蔵野商工会議所であった。約80人が参加。鹿児島県奄美市名瀬生まれで、建設省(当時)や国土庁の役人として旧名瀬市の総合開発計画策定などに参画した泉堅二郎氏(79)が講演した。 泉氏は、東京大学卒業後、建設庁に入省し都市計画や道路整備などを担当。国土庁で計画調整局調整課長、四国地方建設局長などを歴任したほか、国際協力事業団(JICA)の理事や駐エチオピア特例全権大使として途上国開発にも尽力した。現在は公益財団法人奄美奨学会理事長として学生の育成支援をしている。 講演では、自身の幼い頃の写真を見せながら「奄美は昭和30年代までは舗装された道路もほとんどなく雨が降ると泥でぬかるみ、下水道も整備されていないため川はヘドロが流れるなど住環境は劣悪だった」と指摘。建設省時代、当時の大津鉄治旧名瀬市長から遅れていたインフラ整備をどう進めるべきかの相談を受け、沖縄と鹿児島本土を結ぶ意味のある国道58号を指定することで、莫大な費用が必要となるトンネル建設に国の予算を付けやすくしたことなどの逸話を紹介した。 「今やかつての奄美のマイナス条件は、28年間市長を務めた大津氏など先人たちの努力により克服された。恵まれた自然条件などを生かして前に進んでほしい」などと今後の奄美の発展に期待した。