「習近平は弱い人間なんです」駐車場で突然、数人の男たちに囲まれ…次々と失踪する在日中国人…日本を狙う中国スパイのヤバすぎる実態
人権無視の取り調べ
亜細亜大学范教授の失踪を受けて林官房長官は「今後も動向を注視していく」と国会で答弁した。が、実はいっさい、公表されず国家安全部に闇から闇へと葬られた中国人たちも数多く存在する。 島根県出雲に生まれ育った在日華僑二世の劉勝徳氏(78歳)。岡山華僑総会会長として在日華僑の交流や日中友好に尽くした華僑界の重鎮だ。生まれてから日本の学校教育を受け、日本食を好み、親族すべても日本で暮らす彼は、日中交流活動での訪日客の対応は多いが、訪中の機会はあまりなかった。そんな劉氏が8年前、中国蘇州の友人の病院長から「最先端技術の人間ドックを受けないか」と誘われる。一泊2日の蘇州観光も含めた医療ツアーだ。さらに「飛行機代も出すよ」と言われた、という。 親しい友人だった院長の言葉に何ら疑問を持たず、劉氏は蘇州に向かった。そして検査を終えた翌日、蘇州の名所「拙政園」を観光、昼食の後、空港に向かおうとした駐車場で突然、数人の男たちに囲まれた。「蘇州国家安全部」を名乗る彼らは、驚く劉氏に目隠しをして車に乗せ、市内をぐるぐる回って場所を特定されないように「居住監視」といわれる尋問用のホテルに移動した。 この窓もない一室で24時間監視され、尋問され続ける「居住監視」は中国で拘束されたすべての人たちが経験する人権無視の国家安全部専権の最悪の取り調べ方法だ。拘束容疑の説明も理由もいっさい伝えられない。大使館含め外部との連絡も一切できない。 同様に6年間スパイ容疑で逮捕され収監された、元日中青年交流協会理事長・鈴木英司氏なども「誰とも接触できないこの時期が一番辛かった」と告白している。 自殺防止のため鉛筆もテレビも一切ない。シャワーのドアもない。劉氏はうそ発見器にもかけられ、「銃殺もあるぞ」「最低刑期は10年だ」などと、朝昼晩と厳しく脅された。「人生ここで終わるのだ」と劉氏は覚悟した、という。 その彼らが連日尋問してくるのは、現在の中国外交部トップの「王毅」の情報だったという。蘇州でひと月、新幹線で天津に移動して3か月と、取り調べは続いた。 1989年、当時の最先端技術を導入した瀬戸大橋の視察に李鵬総理や共産党幹部が来日する際、外交部から先遣隊として事前に派遣された王毅氏を幹部から紹介された。その後、個人的にも懇意になり日本大使となって再来日してからも講演会を依頼するなどとても親しい関係だった。しかし、政治的な話は一切しなかったという。なぜ安全部が王毅氏の行動や交友関係を探るのか、その背景にどんな権力闘争や習近平政権との確執があったのか、劉氏にはまったくわからなかった。当然、なぜ自分が狙われたか、なども知る余地もなかった、という。