なぜ、他人への嫌悪感は生まれるのか? 人間関係を複雑にする「思い込み」
職場の上司、家族、友人...誰しも、一度は「この人とは合わない」と感じたことがあるはずです。他人に対する「嫌悪」の感情は、心の負担になっていきます。苦しみの元になる「嫌悪」の感情を手放すには? 書籍『自分という壁』より、住職の大愚元勝さんのお話を紹介します。 【心が軽くなる言葉】人間関係が良くなる8か条 ※本稿は、大愚元勝著『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)より内容を一部抜粋・編集したものです。
不必要な「嫌悪」に執着していませんか?
「憎しみ・恨み」と同じように、怒りの延長線上に存在するのが「嫌悪」の感情です。私たちがなんらかの対象を退けたい、反発して遠ざけたいと思う感情の一種です。そしてこの嫌悪にも、避けられないものと避けるべきもの、手放すべきものと手放すことができないものがあります。 例えば、目の前にヘビやムカデがいきなり現れたとしましょう。一部の爬虫類好き、虫好きの人は歓迎するかもしれませんが、たいていの人はびっくりしますし、その後に「うわ、嫌だな」と思うはず。気持ち悪いとか、近づきたくないとか、そういった感情が生まれる瞬間です。この嫌悪は、必要なものに該当します。 なかには毒を持ったヘビやムカデもいますので、外敵から身を守るという面では正しい感覚。人間の体は、脳にある扁桃体という部位に備わっているセンサーがそれを察知するようにできているのです。生き延びるために必要な感覚なので、意識的に手放すことはできません。 一方、それ以外の嫌悪、おもに他人に対して抱く嫌悪は、ただちに捨てたほうが良いでしょう。こちらは生理的なものではなく、人間の社会的動物化が進み、脳が発達してきたことによって生まれたもの。持っていてもなんの役にも立ちませんし、自分の心を重たくするだけです。 「あいつは本当に嫌なやつだな」 「あの人とは価値観がまったく合わない」 「○○人(どこかの外国人)って常識がなさすぎるよ」 そう思ってしまうことはあるかもしれませんが、それ以上、自分のなかでの嫌悪感を膨らませることはやめましょう。一人ひとり違った性格をしているのと同様に、持っている価値観も異なるのが当然だからです。異国の文化と日本の文化は同じではありませんし、男性と女性、同年代と別の世代など、属性や立場が違えば考え方も自ずと異なったものになっていきます。 自分の価値観や常識は唯一無二の正解ではない―これをしっかり認識しましょう。自分の基準を相手に押しつけることはできませんし、押しつけたところでその人が変わるわけでもありません。 親、兄弟、先生、友人、恋人、先輩、後輩、同僚、上司、部下、著名人、メディア―など、すべての相手に対して同じことがいえます。「自分と違う」「自分と合わない」ことを理由に好き・嫌いの判断をすることには、なんの意味もありません。 むしろ自分の心に「嫌悪」という重しが増えるだけです。「あの人と自分はここが違うんだな」という事実を認識するだけでいいわけで、そこから好きだ嫌いだという白黒をつける必要はないのです。