小山卓治のベストアルバムから辿る、シンガー・ソングライターとしての歩み
こんな世の中がいつまでも続くはずは絶対ないという想いで書いた
Once / 小山卓治 田家:この曲を書いたときのことは今どんなふうに? 小山:「Once」はOnce Upon a TimeのOnceというニュアンスで作ったんですけど、当時はバブルの超ド真っ盛りでおねえちゃんたちが短いスカートを履いて扇子を振っている時代で、なんだこれは!とずっと思っていたんですね(笑)。俺完全にお呼びでない状態になっているぞ、世の中がっていう感じがすごくして。この曲の詞の中にもあるんですけど「知ってるかいパーティーは終わったんだ」って詞を書いたんですけど、そんな気持ちで時代に逆らうとかそんな大層なことまでは考えなかったんですけど、こんな世の中がいつまでも続くはずは絶対ないという、そんな想いでこの曲を書きました。 田家:さっきお聴きいただいた「天国のドアノブ」も「Once」も今の歌に聴こえますもんね。 小山:そう言ってくれると本当にうれしいです。 田家:今の世の中とか僕らの気分、社会の空気をそのまま歌われている気がして。Disc1、Disc2はかなり流れが違っていて、Disc2はこれで始まっている。 小山:そうですね。たまたまということでもあるんですけども、徐々に若造が少しずつ成長していくちょうど真ん中あたりにこの歌はあるのかなという気がします。 田家:大体真ん中あたりは誰にでも思い当たる歌だという、そういう歌であります。 1 WEST 72 STREET NY NY 10023 / 小山卓治 田家:流れているのはDisc1の1曲目「1 WEST 72 STREET NY NY 10023」。1988年に出た1stアルバム『NG!』の1曲目。今のタイトルを聴いて思い当たる方はニューヨークがお好きな人。ジョン・レノンがお好きな人。 小山:これは当時ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダコタ・アパートメントの住所をそのまま曲のタイトルにしました。 田家:この曲は実際に小山さんが行かれて書いたわけじゃないんですってね。 小山:そうですね。その翌年に行きました。 田家:写真を見ながら。 小山:当時のプロデューサーが知り合いで見に行った近藤良一さんという方がニューヨークでずっと撮り溜めていた写真集が当時その頃出たんですね。全部モノクロなんですけど、その中にいろいろなニューヨークの写真がある中でジョン・レノンが亡くなった直後のテレビにジョン・レノンの顔がアップになっていたりするとか、ダコタ・アパートメントのざわざわしたのがモノクロの小さなテレビに映っている写真があったんですね。それを見てすごくインスパイアを受けまして、この歌が生まれました。 田家:どんなイメージを持っていたんですか? 小山:もちろん憧れの街でもありますし、たぶん強烈な街なんだろうなというふうに思っていて。そのときは本当に想像でしかなかったんですけど翌年ようやく行くことができて、本当にその通りですごい街だぞっていう。やっぱり世界一の街だなっていう、世界一いろいろなインスパイアを与えてくれる街だなと思いましたね。 田家:Disc1の2曲目「HERT OF THE NIGHT」にはジョンとヨーコが出てくるわけですけど、小山さんの中でジョンとヨーコはどんな存在だったんですか? 小山:ジョンはもちろんビートルズのジョンも大好きなんですけど、僕がちょうど音楽に目覚めた頃、中学入った頃にちょうど「Let it be」が出て。ビートルズってかっこいいなって子どもの頃からちょっとは聴いていたけど、解散したらしいよ、え、本当に?っていうところから始まって、ジョン・レノンがソロ・アルバムを出し始めた頃にものすごくショックで。ビートルズのメロディアスだったり、いろいろな冒険をするサウンドと全く違うとんでもなく赤裸々な曲と歌と叫びとシャウトを聴いたときに、これはすごいぞって思って。 田家:僕はビートルズを信じないですからね(笑)。 小山:そうですね。そんなこと言うかっていう感じでした。 田家:今回のDisc1とDisc2の流れがそれぞれ違うなと思ったのですが、Disc1は路上のストーリーだなと思ったんですよね。 小山:そうですね。やっぱり熊本っていう小さな町から最初に東京に出てきて1カ月くらいでデビューするのが決まって。事務所の人間にお前どうせ金がないんだから、空いている部屋があるからここにしばらくいろって言われたのが表参道と青山通りのちょうど交差点のすぐ近くだったんですよ。とんでもないところにいきなり住むことになって、そこで見たり聴いたり歩いたりして感じたものというのは1枚目のアルバムにはものすごく反映されていますね。