夏休みの自由研究、日々の宿題にAI禁止では頭のいい子は育たない…親が気づくべきAI時代に生き抜ける子どもを育てる教育環境
一人一タブレットはもう普通。学校に広がるDX化
私立の多くの学校では、DX化がすごいスピードで進んでおり、小学校ですら、タブレットが使用されています。 一人一台タブレットが支給される学校も増えてきました。動画を用いることでわかりやすく説明したり、資料やプリント類をダウンロードさせたりと、授業で使用するのはもちろんのこと、宿題もタブレットでやりとりします。 また、ある私立中学校では、教師も参加するクラスのチャットが設けられ、子どもたちは、そこで勉強を教え合ったり、ときには愚痴をこぼし合ったりしています。 学校を欠席している子どもにも、タブレットを使うことでコンタクトがとれますし、教師の目が届いているため、問題も起きにくいようです。 もちろん、最初はタブレットを使いこなせない子もいるものの、やがてみんな教師の技量を凌いでいきます。「教えるほうも大変そうだな」と同情心すら湧きますが、これも「AI時代に生き残れよ」という学校側のメッセージなのではないかと思っています。自ら新しい壁を越えていかねばならないということでしょう。 ましてや高校生ともなれば、さらにDX化は進みます。 そもそも、今の高校生向けの問題集や参考書は、スマートフォンを持っている前提でつくられています。色や動く図形を使うものや、文字だけで説明するのが困難なものに関しては、QRコードが添付されており、それを読み込むと動画で説明してくれるのです。 ただし、学習の広がりを考えれば、スマホよりもiPadなどのタブレットやパソコンの使用が望まれます。その点、これらの機器を保護者負担で持たせることもできる学校を選べば、さらに先を行くことができるわけです。
計算の速さなど、もう、なんの売りにもならない?
このようにDX化が進んだ学校を中心に、試験に電卓や参考書などの持ち込みをOKとしているところが増えています。とくに電卓に関しては、今後あらゆる試験の場で持ち込みが前提となると私は踏んでいます。 電卓を持ち込めば、計算の速い子どもの優位性が失われます。これまでの試験では、数学でも理科でも計算の速い子どもはいい成績が取れたのに、これからは計算が遅い子どもに差を縮められてしまいます。 でも、それでいいのです。なぜなら、計算はAIの得意分野だからです。計算の速さなど、なんの売りにもならない時代が来るためです。 ビジネス界より進んでいる教育現場は、おそらく、みなさんが考えているよりずっとレベルの高い子どもを欲しがっています。電卓の「あり・なし」などとうに超えて、「ここは自分で考えて、ここは電卓に計算させればいい」という判断ができる子どもを求めているのです。 とはいえ、現入試において計算をしっかりやることはまだまだ大切です。一部の学校では変化が起きていると言いましたが、「計算力を武器にできる子」はゼロにはなりません。突出したスピードで正しく計算ができる子は、どこかで絶対に必要とされます。その数は減るでしょうが、むしろ強みは増すかもしれません。 要するに、「戦い方が多様化している」ということです。 結果的に勝てればいいのであって、その方法は多様。ただし、結果が問われるからこそ、その方法が自分に適しているかどうかを見極めることが、非常に大事になってきます。 Jリーグで成績を残しているあるサッカーチームは、その典型です。今は「魅せるサッカー」と言われる、きれいな戦い方がプロサッカー界の主流です。ところが、そのチームは、時代に逆行しているとも思える方法で選手を育成し、成果を上げているのです。 試合での戦い方も泥臭く、汚く見えるプレイもするけれど、結果的に勝っている。まさに明確なポリシーがあるわけで、そのようなやり方に適していると思える選手にとっては、いいチームとなるわけです。 灘中学校の入試は2日間にわたって行われますが、その初日の国語試験は、難しい漢字やことわざなど、徹底的に知識を問うものです。インターネットで調べれば事足りる知識について出題する学校が減っている中で、灘中学校はまったくブレることなく国語の知識を問い続けています。読解力や思考力はもちろん大事ではあるけれど、それ以前に、「日本人であるならば日本語の知識は必須である」というポリシーが貫かれているのです。 このように、学校や企業といった受け入れサイドが多様化しているのに対し、そのポリシーが自分と合っているかどうかを見誤れば能力は生かせません。親として、我が子の適性を見極めることが、以前にも増して大事になってくるのです。