「ママ、ろれつが回ってないよ」脳出血で40周年コンサート直前に緊急搬送…歌手・井上あずみが意識を失う前に娘にかけた言葉
── 緊急時にそこまで落ち着いて対応できる人はなかなかいませんよね。19歳の若さでやってのけるとは素晴らしいですね。 井上さん:救急車内でもなるべく意識を保つように、ずっと声をかけ続けてくれたようで、意識がないなかでも娘の声には反応していたそうです。私は「私の代わりに歌って!」と何度も言葉をかけたようで、そのことはうっすら覚えています。 コンサート会場では「せっかくお客さんがいらっしゃるので、代わりにゆーゆでやりますか?」という話も交わされたようですが、さすがに私の周年コンサートなので誰かが代わりではできないと会社も判断し、中止にさせてもらったと聞きました。地方から来てくださっている方もいるなかで、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。数日後に目が覚めたときの第一声で「ゆーゆ!ちゃんとできた?やってくれた?」と聞いたくらいでした。
■左半身麻痺の後遺症でリハビリ生活が始まって ── 搬送されてから、脳出血の経過はどのようなものだったのでしょうか。 井上さん:病院では内視鏡で血だまりを除き、処置をしてそのまま2日くらい眠っていたようです。手術を終えた段階で命の危険はなくなりましたが、脳は部位によって後遺症が千差万別で、この先どうなるかは手術後にはわかりませんでした。先生も「どこに支障が出るかは、これからリハビリをするなかでわかってくることです」と。
── 左半身に麻痺が残り、リハビリ入院がスタートしたとのこと。 井上さん:最初の病院は2週間で退院し、そのあとリハビリで別の病院に5か月間入院しました。自分でトイレに行けないのがつらかったですね。歩くとよろけてしまう、手が不自由で両足で立って下着やズボンをおろすのが難しくて。実を言うと、入院が長くて鬱のような症状になりかけました。毎日のリハビリが思うように進まず「ここにいてもいいことない!」と弱音を吐きたくなって…。早く人前で歌いたかったですし、自分でやりたくてもできない歯がゆさやつらさで泣くこともありました。