【昭和99年】「福島県でロックフェスを」 郡山の故佐藤さん 大人の偏見に“反抗” 郡山に名だたる大物集う
■「不良の音楽」に熱狂 1970年代、ロックには「不良の音楽」とのレッテルが貼られていた。しかし、ワルに憧れるのが若者。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーン…。親世代に騒音とののしられても、中高生や青年にはたまらなく格好良かった。 風当たりは、田舎であればあるほど強い。それでも「福島で野外ロックフェスをやろう」。そんな大それた野望を持つ若者が郡山市に現れた。衣料店を経営していた故・佐藤三郎さんだ。当時30代の若者で、米国で開催された伝説のロックフェス「ウッドストック」の記録映画を見てしびれた。不良と呼ぶなら呼べ―。1974(昭和49)年8月、郡山市で「ワンステップ・フェスティバル」の開催にこぎ着けた。まさに若者による反抗だった。 ただ、開催には大人の壁が立ちはだかった。「人にものを頼む姿勢としていかがなものか」。米国ではやったヒッピー文化に感化された佐藤さんの髪形を見て、会場使用申請を担当する市の担当者が拒否反応を示した。最終的には佐藤さんが髪を切り、あらゆる条件をのむことで折り合いをつけた。条件闘争の末、最終目的のライブ開催を死守した形だが、開催が告知されると市には「子どもに悪影響を及ぼす」と苦情が入った。市教委はライブへの子どもたちの参加を禁じた。大人はみんな「ロックは不良が親しむ音楽」という反応だった。
ただ、ライブは半世紀たった今も語り継がれる熱狂ぶりだった。オノ・ヨーコさん、内田裕也さん、沢田研二さんら名だたるアーティストが登場し盛り上がりは最高潮に達した。興奮のあまり、コーラの瓶が勢いよく飛んだ。現在なら危険行為としてライブ会場から追い出されるような狂乱も、真夏の空に熱気として吸い込まれた。 3年後、郡山のライブを成功させた関係者が、世界的人気のバンド「ベイ・シティ・ローラーズ」を招聘(しょうへい)した。郡山市で開催するつもりだったが、ワンステップの先例もあってか「騒ぎになる」とすげなく却下された。代わりに受け入れたのが棚倉町だった。 今でいうなら韓国の人気音楽グループBTSが福島の小さな町でライブをするようなものだ。10代、20代の女性ファンを中心に2500人が来場し、城下町は騒然となった。興奮のあまり、公演中に失神して運ばれる女性が相次いだ。 当時の女子中高生にとってライブに出かけるのは勇気ある行動だった。なにせ、学校をサボっているのが見つかれば警察に補導され、親にもこってりと絞られる。当時の福島民報は71人が補導されたと報じている。多くは全国からの遠征組だった。