終戦79年 宮城・美里町の中学生が平和と戦争を学びに長崎市へ
khb東日本放送
長崎に原爆が投下されて79年の9日、現地では核兵器の廃絶などを訴える平和祈念式典が開かれました。
式典には毎年、宮城年美里町の中学生が平和教育の一環として出席しています。 1945年の8月9日長崎に投下された原爆では、およそ15万人もの市民が死傷しました。 平和記念式典では原爆が炸裂した午前11時2分。犠牲者に黙祷が捧げられました。 鈴木史朗長崎市長「核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきです」 この式典に宮城県美里町の中学生が参加しました。 美里町は2006年に非核・平和都市を宣言。若い世代に平和の尊さを学んでもらおうと、毎年長崎に中学生を派遣しています。 7月27日。 長崎の式典に参加する中学生らが、事前学習として戦争資料を展示している宮城県石巻市の私設平和資料館を訪れました。 この日生徒たちは、元高校の校長で戦争資料の収集を行っている佐々木慶一郎さん(77)による、東京から宮城県鳴子温泉に学童疎開をしていた児童の話などに耳を傾けました。 佐々木さん「子どもたちはおやつも無いし腹が減るでしょ。何を食べたと思いますか?思いつく?」 生徒「雑草」 佐々木さん「雑草も食った。まず歯磨き粉。歯磨き粉甘いでしょ。あの歯磨き粉で歯を洗うんじゃなくてそれを食った」 また原爆について、広島の爆心地近くの川底から見つかったガラスや瓦などを見せられました。 1800度以上の高温にさらされ原型をとどめていないことに生徒たちは原爆の恐ろしさを感じていました。 佐々木さん「これ瓦。ブツブツになって。1800度」 生徒「溶けちゃってる」 佐々木さん「人が溶けちゃうのは当たり前。原爆の破壊力の凄さというのは、人類が体験したことのないようなものだった」 生徒「思ったよりも大きかったりとか、こんなのが落ちたのかとか、すごく現実とは思えないような感じに思いました」 佐々木さんは、二度と戦争が起きないよう、長崎で見聞きしたことを同級生や次の世代に広めてほしいと訴えました。 佐々木さん「日本が戦争の方に舵を取る、そういうような様子が見えたときは、皆さんが大きな声を出して、戦争だけはやってはいけないっていうことを呼び掛けてほしい」 生徒「佐々木さんの話を聞いて、やはり聞ける機会がないと思ったので貴重な体験でした」 生徒「平和と長崎の歴史について、自分が経験しなかったことや学べなかったことをたくさん学んで来たいと思ってます」 そして9日。生徒たちは、平和祈念式典の後、原爆資料館も訪れました。
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