本当においしいのは秋「鱧(はも)は夏が旬」に、マーケット戦略が見え隠れ
日本の歴史と文化、伝統がいまに息づく京都。あまりにも代表的な日本の観光地であるがゆえ、教科書に出てくる有名な神社仏閣を見学し、よくある味覚を楽しむという通り一遍の京都めぐりになってしまいそうで、しばらく足が遠のいているという方は多いのではないでしょうか? 清水寺や金閣寺はもちろん、宇治金時もおたべも出てこない「おとなの京都講座」講師の大江英樹さんが、思わず「へぇ~」と言いたくなる京都の楽しみ方を紹介します。
やわらかくてあっさり味の夏、脂がのったシコシコ食感の秋
京都の代表的な夏の味といえば、何といってもやはり鱧でしょう。最近は東京でもよく食べられるようになってきましたが、もともと関東ではあまりなじみのない魚でした。どうしても鱧と言えば京都というイメージが強く定着しています。ではなぜ海のない京都で、本来はそれほどメジャーでもない鱧という魚がよく食べられるようになったのでしょう? それにはあるマーケティング戦略が見え隠れします。 「鱧は梅雨の水を飲んで育つ」と言われるように、6~7月の産卵前の時期に一番身がやわらかくて美味しいというのが一般的に言われていることです。実際に7月に開かれる祇園祭も別名「鱧祭り」と言われているくらい、まさに鱧はこの時期の旬の魚であり、とても美味しいことは事実です。ところが、鱧にはもう一度美味しい時期があって、それが秋、それも10~11月くらいにかけての頃です。この時期の鱧は産卵を終えて食欲が増し、とても脂ののった、弾力性のあるシコシコした身になります。人によってはあっさりした夏のハモよりも脂の乗った秋のハモの方がずっと美味しいと言う人もいます。ところが意外とこの秋の美味しい鱧のことは知られていません。その理由は一体何なのでしょう。
「鱧は夏が旬」 じつはマーケット戦略のひとつだった
京都でよく食べられる魚と言えば、淡水魚を除くと、若狭でとれる鯖や鯛、そして瀬戸内から運ばれてくる魚の数々ですが、今と違って昔は冷凍技術などありませんでしたから、夏の腐りやすい時期に生の魚を海の無い京都へ運んでくるというのはとても大変でした。若狭で獲れた鯖も塩でしめて運ばれたことから、若狭から京へ向かうルートとして鯖街道というのが有名です。一方、瀬戸内方面からも魚は運ばれてきたわけですが、その中に鱧がありました。鱧というのはとても生命力の強い魚です。夏の暑い時期でも桶に海水を入れておけば、明石の方から京へ運ぶこともできたのです。 「京都の鱧は山で獲れる」という言葉があります。魚の行商人が瀬戸内から桶を担いで京へ向かう途中、山崎の辺りで峠を越えることになります。そんな時に彼らが一休みしている間、元気の良い鱧が桶を飛び出してしまうこともしばしばあったようです。そんな鱧を拾い集めて桶に戻すのですが、取り逃がした鱧を地元の農民が見つけて拾うとまだ生きていることがあったそうです。そんなことから「京都の鱧は山で獲れる」と冗談めかして言われていたのです。 要は夏の暑い時期には、このように生命力の強い鱧しか持ってくることができなかったということです。そこから「鱧は夏が旬である」ということが喧伝されるようになったということではないでしょうか。以前京都であるお料理屋さんのご主人と話している時に、「要するにこれは昔のマーケティング戦略ですなあ」と言われたことを思い出します。つまり鱧が最も美味しいのは夏、というのは営業上考え出されたことであって、やはり本当に美味しいのは秋だという意見の人も多いということのようです。 もちろん、お料理というものはあくまでも個人の好みが大きいので、どちらが美味しいということはできませんが、私は秋の鱧も大好きで、個人的にはこの時期の方が美味しいと感じています。10~11月の鱧を「松茸ハモ」とも言いますが、これはこの時期の名物である松茸と鱧を一緒に料理することがあることから名づけられているのです。両方を一緒に土瓶蒸しに入れたり、鍋に入れてしゃぶしゃぶにしたりという、考えただけでもクラクラするような贅沢な食べ方ですが、確かに松茸の強い香りに対抗するには歯ごたえのあるしっかりした秋の鱧の方が合っているような気がします。 言うまでもなく鱧はとても小骨の多い魚なので丁寧に骨切りをしないと食べられません。一寸(約3.3センチ)の大きさの身に包丁を24~25回ぐらい入れるといいますから、相当な技術を必要とします。何年も修行しないと一人前に捌くことができないそうですから、まさにこれは職人芸と言えるでしょう。京都の料理人ならではの技と言えます。 京都に限らず世界中には長い年月にわたってその国の都であった都市がたくさんあります。そうしたところには独自の技術や文化があり、時には恵まれなかった気候やその土地の条件を逆に利用して素晴らしい文化に変えてしまった例も枚挙にいとまがありません。四方を海に囲まれた我が国には魚が美味しいと言われる土地は数えきれないほどありますが、そんな日本にあって海の無い京都では食の多様性という面では明らかに不利だと言えるでしょう。鱧という食材を通してみると、そういった不利を克服する発想や技術が大いに感じられます。「食は文化なり」といいますが、まさに京都は食を文化に育てていったことがよくわかります。 (経済コラムニスト・大江英樹)