「目標ではなく道しるべ」ふかわりょう 50歳で「R-1」挑戦の真意「いろんなものが重なった」今後10年の展望も明かす
「50歳になる今年、いろいろなことが重なりました。『5時に夢中!』、『バラいろダンディ』(ともにTOKYO MX)と、12年半続いていたMXテレビの帯番組出演が終了するということ。内村(光良)さんの還暦祝いで、『内村プロデュース』(以下『内P』、テレビ朝日系)が一夜限りの復活をするということ。『R-1グランプリ』に年齢制限がないということ。 【写真】50代の展望を語るふかわりょう そこで、僕の中でスイッチが入ったんです。今年、『内P』が復活するなんてのは本当に偶然なんですけど、不思議な惑星の軌道が重なったような(笑)」 8月、50歳の誕生日に『R-1グランプリ』に挑戦すると表明した、芸歴30年のふかわりょう。ふかわにとって人生の節目での「R-1出場」は、“苦境からの再チャレンジ”でも“自らの集大成”でもなく、あくまで巡り合わせだという。人生の新たな局面を迎えた芸人に、心境を聞いた。 「僕は今まで12年半、MXという港町で平和に暮らしていたんです。その港での暮らしが終わるけど、“卒業”という印象は一切なくて、どちらかというと“出航”というイメージ。ものすごくいい風が吹いてきている。その実感が強くて、非常にワクワクしているんです。それは20歳でこの世界に飛び込んだときと近い部分があって」 こう言って、自らの半生をふかわは振り返った。 「芸能界入りした当時は、今よりも芸能界に対する“恐れ”みたいなものが強かったんですね。『芸人なんて絶対やめたほうがいい』って、みんなが止めるような時代。でも、自分ひとりで“いや、何とかなるでしょ”って根拠のないポジティブな気持ちがあったんですよ」 30年前はバブルが終わり、就職氷河期と呼ばれていた時期。慶應義塾大学生だったふかわは、エリート街道に乗っているとも言えた。それでも、テレビの世界に憧れた。 「元々は『テレビの中に入りたい』という気持ちが一番強かったんです。誰に憧れているとか、漫才がしたいとか、コントがしたいというわけでもなく、とにかくバラエティやお笑い番組に出たかった。 高校生の時に『20歳になったら、芸能界の門を叩こう』と決めていました。決意通り、20歳の誕生日に、今の事務所に電話をかけたんです。 でも、一発で所属が決まるわけではない。あくまでもネタ見せできるという話だけで。半年くらい事務所に通って、ライブに出たりしているうちに、深夜番組に出ることができた。そこから視界が、フワーッと広がっていった」 サラサラのロン毛に白いターバン。都会的な印象なのに、ちょっと外した雰囲気。知る人ぞ知る『MR. BLINDMAN』(DONNA McGHEE)に合わせて、リズムにノリながらあるあるネタをかます。当時のお笑い界では異質な芸風は、一気に話題をかっさらった。その後、バラエティ番組でイジられ、音楽活動をし、執筆もした。様々なフィールドで活躍してきた彼が、50歳になり、またネタに挑戦すると決めたのだ。 「今回は、いろんなものが重なっただけです。なにもなかったら、普通に50歳を迎えていた可能性もあります。『R-1グランプリ』は、目標というか道しるべになると思ったんです。ただただ闇雲に海に出ても、漂流しかねない(笑)」 新たな船出においての“羅針盤”と、「R-1」挑戦を表現したふかわ。しかし、お笑いのステージにかける思いは、それだけではないようだ。 「先程言ったように、『テレビの中』が好きだったので、お笑いライブの世界からは早い段階で離れてしまったんです。だから、そこに対する後ろめたさが自分の中にあって。それが30年経った今、いろいろ経験してきて改めて、自分が面白いと思うものを板の上で表現したいなって気持ちに、自然と繋がりました。 ライブシーンに“戻る”という意識は全くない。人生の直線上で起きていることなので、20歳から一直線で歩いてきたら、今、50歳でライブをしたくなった。ただしそれは、『20歳の頃に戻りたい』という気持ちとは全く異なるんです。 20歳のときは、テレビを意識してステージに立っていたのですが、テレビや音楽、執筆など色々な経験を経た今は、単にネタをやりたいという気持ちが強い。経験値も表現力も、かつてとは異なる『ふかわりょう』になっていると思うんです」 R-1への準備は着々と進んでいるという。最近は、事務所の若手のライブなどにも出ているというが、そこにはやはり、テレビとは違う刺激がある。 「お客さんの反応がダイレクトに伝わってくるので、スゴく刺激になりますね。手応えとしては、自分の狙った通りに客席が反応するときもあれば、『こうやらないと伝わらないんだな』と勉強になるときもあります。 僕の場合は、自分自身の独身中年男性という環境が生んだ感性を表現できると思うんです。目に入ってくる情報が、お子さんがいらっしゃる方とは全然違うじゃないですか。正直、こじらせているところはあると思うんですけど(笑)。独身の悲哀を出すってことじゃなく、その感性を舞台上でうまく面白く調理して見せたいんです」 最後に今後の人生について問うと、ふかわは自身の可能性をこう語った。 「ざっくりいうと、50代は“お笑い”というものに向き合う10年になるのかなと感じています。それ以外やらないってことではないですけど。今はピン芸人としてできることを優先してやっていますが、それ以後は、例えば何人かで表現する世界に向かうかもしれない。 『自分の思い描いている世界を表現したい』って気持ちが強いんでしょうね。強いて言うなら、テレビの基本は団体芸なんですよ。タレントはそれぞれ自分の色を出して、みんなの色を混ぜてひとつの絵画を作るような感じ。でも今、僕がやろうとしているお笑いは、自分で絵の具を揃えて、キャンバスにひとつの絵を描くようなイメージ。いくつも絵の具が必要なんですが、自分で描きたい絵を描ける。自分の頭の中を、具現化していくような……。 説明が難しいので(笑)、とにかく足腰の丈夫なうちに、やるだけやってみます」 強い追い風に吹かれて、ふかわの航海はまだまだ続いていくのだ。