俳優・大西信満、裏方時代に受けた“理不尽な仕打ち“。罵倒され…衝動的に「それなら表方になってやろう」
※大西信満(おおにし・しま)プロフィル 1975年8月22日生まれ。神奈川県出身。初主演映画『赤目四十八瀧心中未遂』で、第58回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第13回日本映画批評家大賞新人賞受賞。2008年、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』以降の若松孝二監督全5作『キャタピラー』、『海燕ホテル・ブルー』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』、『千年の愉楽』に出演。『祖谷物語 おくのひと』(蔦哲一朗監督)、『BOLT』(林海象監督)、『柴公園』(綾部真弥監督)など出演作多数。映画『東京ランドマーク』が新宿K’s cinemaにて公開中。
原田芳雄さんとの出会い
半年間の養成期間が終わったものの、仕事がすぐにあるわけもなく、芸能事務所のこともよくわからなかったという。 「どうしたらいいかまったくわからなかったので、レッスンのお金を立て替えてくれた事務局の人に相談したら、指導しに来ていたプロデューサーのひとりに『お前みたいなやつは、もしかしたら原田芳雄さんが気に入ってくれるかもしれないから、紹介とかそういうことじゃなくて、自分で手紙を書いて、今日撮った卒業制作のビデオも事務所に手紙と一緒に送ってみたらどうか』って言われたので、その通りに手紙を書いてビデオと一緒に送ったんですよね。 そうしたら、ほどなくして連絡があって、原田家に来るようにと言われたので、指定された日に行ったら、もう大宴会をしているわけですよ」 ――原田さんのお宅での宴会は有名でしたね。 「そう。20人ぐらいいろんな方が来ていました。でも、自分はてっきり面接みたいなことがあるのだと思っていたので、履歴書みたいなものを用意したりして行ったのですが、まさかの宴会で(笑)。ポカンとして立っていたら、『そこの若いの、皿片付けろよ!』みたいな感じで怒られたりして、お皿を替えたりしていたんですよ。 それで、みなさんが帰った後、『あれ?そういやお前、初めて見る顔だな』みたいな話になって(笑)。実は呼ばれたから今日来たんですって言ったら、『そうか、そうか。じゃあ明日からうちに来い』ということになって。 とくにちゃんと話したわけでも何もなく、案外すんなり芳雄さんの事務所に所属させてもらうことが決まって、そこから初めて俳優らしい活動をするようになって、芳雄さんの現場に運転手というか付き人で入ったときに初めてプロの現場を経験しました。 初めて会った俳優さんが芳雄さんだったので、そこから猛勉強するわけですよね。入ってから焦って映画館に行って、特集上映を見たりして勉強というか、自分の中の足りなかったものをどんどん埋めていっている時期に、芳雄さんの家に連日いろんなお客さんが来て宴会をやるわけですよ。 そのなかにのちに仕事をすることになる若松孝二監督とか、荒戸(源次郎)さんや(林)海象さんもそうだし、ちょっとずつご縁ができていくというか。初めは、『芳雄さんとこの若いの、お前名前なんだっけ?』みたいな感じでしたけど、何回か顔を合わせているうちに名前を覚えてもらって。 その間、いろいろ話せばそれだけでも5時間、6時間かかっちゃうんですけど、そのなかから荒戸さんが、『今度俺、映画を撮るから芳雄さんのところを離れて俺の事務所に来ないか』っていうことになったんですね。 それで芳雄さんに、『荒戸さんに、この事務所を辞めてその映画の準備のために荒戸さんの事務所に行くように言われたんですけど、どうしたらいいですか?』って聞いたら、『それはチャンスだから行ってこい。こっちのことは気にするな』って言ってくれたんです」